炭酸が抜けるまでの日記

アラサーパート主婦のどうでも日記です。最終目標は安らかに暮らすことです。

ペットロス セキセイインコ

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このタイトルにしたのは、同じような気持ちの人がこの記事を探しやすいようにするため。

先月、愛鳥が亡くなりました。8才と数ヶ月。一応、平均寿命ではあります。

 

悲しくて悲しくて、私は同じような状況の人の気持ちを知りたくて、読みたくて、色々検索していました。

あまりセキセイインコのペットロスについて書いている人は見つからなかったけど、いくつか日記のようなものを拝読して、少し救われました。

 

だから、私も書きます。

 

セキセイインコはかわいいです。

永遠の2歳児です。

人間の言葉は話せなくても、しっかりコミュニケーションが取れます。

言いたいことを伝えてきます。これがいい、あれはやだ。

 

人間のわがままで、ペットとして飼われています。

本当ならオーストラリアで平均寿命1〜2年でワイルドに暮らしているはず。

 

人間のわがままで人間の家で暮らし、その人(鳥)生は完全に飼い主に依存します。

私のしたことが、彼女の人生のすべてでした。

 

おやすみカバーを外されて一日が始まり、計量されたご飯をもらい、体重を管理されていました。

私が一人暮らしをしていた頃、私が仕事や予定で家を空けている間はひとりぼっちでした。

彼女はいつも、待っていました。

いや、待たされていました。人間の都合によって。

今は後悔しています。一人暮らしなのにペットを飼ったことを。1羽きりで飼ったことを。

 

私が結婚して家にいるようになってからはそれなりに楽しかったのではないかと思います。

夫も在宅が多く、「群れ」を感じて安心できたと思います。

 

感情豊かになり、主張も多くなりました。

私たち夫婦はそのことを大いに喜び、楽しみました。

 

彼女中心に、生活が回っていたのです。

出かけても、「あの子が待っているから早く帰ろう」と思う。

旅行に行くにも、「病院でペットホテルが予約できたら考えよう」と思う。

朝起きたら、自分のトイレを我慢してでも彼女のおやすみカバーを開けてあげたい。

人間の都合は、ずっと彼女のお世話のために制限されてきました。

 

幸せな不自由でした。

 

彼女のために、不自由であることが、幸せでした。

 

私の一部だったのです。

 

8年間。

 

私は、受け入れられていません。

 

もう、自由であることを。

 

朝、どれだけ寝坊しても彼女はもういない。

 

夜、どれだけ遅く帰っても、彼女はもういない。

 

朝と夕方の体重測定をしない。

 

朝と夕方のご飯タイムがない。トレーニングもしない。

 

呼び鳴きがない。

 

室温に気をつけなくていい。

 

ご飯で汚れたり、フンで汚れたり、羽根で散らかったりしない。

 

ない、ない。

 

ただ単にインコが1羽亡くなったというだけではない。

 

今まであった、私という存在を構成していたものが、ガクッと失われて、その現実をただ痛みとして感じています。

 

この痛みが続くのは苦しいです。

 

でも、忘れてしまうのも、悲しいです。

 

 

今、一番苦しいのは、「もっといい人生にしてあげられたはず」という後悔があることです。

 

平均寿命まで生きてもらうこと。

ロストしないこと。

 

彼女をお迎えした時に、この2つを目標としました。

どちらも、達成できました(本当はもう少し、10才以上生きて欲しかったけど)。

 

だけど、ごめんね、ごめんね、という気持ちが強いです。

 

寒かったよね。もっとあったかくしてあげればよかった。

(だって、彼女の人生は私に依存しているのだから)

 

食事制限ばかりでつまらなかったよね。死ぬとわかっていたら、好きなだけシードを食べさせたかった。

(彼女は管理され、食べるものを選べなかった)

 

家には、補充したばかりの完全栄養食ペレット、大好きだった粟の穂、シードがたくさんたくさんあります。

「生きているうちに食べきれないね?」なんて話しかけていましたが、本当にそうなってしまいました。

 

本当にご飯が好きな子だった。

亡くなるほど弱っていると気がつけたなら。

好きなだけ、好きなだけ食べてほしかった。

 

寒いよ、お腹が空いたよ、ご飯はまだかな……と思いながら亡くなったのではないか。

 

そういう思いが消えません。

 

苦しい。

 

 

セキセイインコは素晴らしいです。

彼らと暮らす日々は、本当に素晴らしいものだと思います。

 

でも、彼らの人生は、ペットとして生きる限り、飼い主に完全に依存しています。

後悔する余地があることが、一番恐ろしいことなのだとわかりました。

 

お金も時間もかけるべきです。

それができなさそうなら、飼わない方がいいです。

 

私は、観察していたつもりで、甘かった。

健康診断の結果だけ、先生の言葉だけ信じて、目の前の「まさか」を見落とした。

「元気なはず」という思い込みが、彼女の寿命を縮めた。

 

8年間の人生、どうだった?

悪くなかったと、言ってもらえるだろうか?

 

楽しいこともあったと。

安心して過ごせたと。

爪切りの時以外は、怖い思いをしないで平和でいられたと。

 

私と出会ってくれてありがとう。

こんなにも大切な存在でいてくれてありがとう。

 

どうかまた、夢に出てきてください。

たくさんたくさん、ご飯をあげるよ!

 

 

 

ペットが亡くなるとき

 

母の飼っていたセキセイインコが亡くなった。

仮にピーチちゃんとする。

ピーチちゃんは、わたしの飼っているセキセイインコと同い年だ。

今年で8歳。

セキセイインコの平均寿命だ。

よくがんばったと思う。

 

ピーチちゃんが亡くなったと知らせを受けたのは、昨日の昼過ぎだった。

台風の影響で、あちこち交通機関が止まってしまっている日だった。

翌日にはもう埋葬するというので、わたしはピーチちゃんを一目見るために、なんとしても実家に帰りたかった。

 

ぐずぐずと泣きながら寝た。頭痛がした。

 

 

朝起きると、ばっちり(実家までの)交通機関は復活していた。

 

ところで、わたしは先月引っ越しをした。

家から一番近い商業施設は、便利なのか不便なのかすらわかっておらず、どんな店が入っているのか勉強中。

だけど、な〜んか「写真屋さん」があるな〜……とは思っていた。

フォトフレームがたくさん売っていて、「スマホからすぐにプリントできます!」「オリジナルアクスタ作れます!」と書いてあって、スマホを繋いで何かするのであろうマシンが並んでいるな〜……と。

 

その記憶が、役に立った。

わたしは、ピーチちゃんの訃報を聞いた帰り道、花屋でピーチちゃんをイメージしたフラワーアレンジメントを作ってもらい、写真屋で遺影(というほどのものではないけど)を作成した。

すごいスピードで、お葬式セットを作った。

 

ピーチちゃんのフラワーアレンジメントと遺影を注文して思ったのは、ペットのお葬式は自由でいいな、ということだった。

とにかく、決まりも何もないので、「かわいかったこと」「楽しかったこと」、そんなイメージを詰め込んで、明るくて華やかなものになった。

人間のお葬式も、あんなにしめやかにしないで、亡くなった人のイメージに合わせていろんな色を使ったらいいのに、と思った。

 

本当は、その日は帰りにトイレットペーパーを買おうと思っていたのだが、お花と遺影で胸がいっぱい、疲労感もいっぱいになってしまい即帰宅した。

 

めまいがすることを伝え、夫に料理を手伝ってもらって夕食を準備した。

ピーチちゃんに贈る詩を頭の中で考えていたら、突然「悲しい」という感情があふれてしまって食欲が失せ、夕食を半分残した。

 

そんなこんなで、本日、お花とお写真を持って実家に行ってまいりました。

 

ティッシュを敷き詰めた箱の中に、眠ったように横たわるピーチちゃんがいました。

お気に入りだったおもちゃと、小さなお花も一緒に入れられていました。

 

毛がふわふわで、色が綺麗で、こんなにかわいいのに、土に埋めなければならない事実を受け入れられませんでした。

 

もうピーチちゃんを埋める穴は事前に掘ってあったようで、早々に埋葬の運びとなりました。

用意してきた詩を読ませてもらい、飼い主であった母が自分で土をかけました。

わたしも夫も、弟も土を少しずつかけました。

 

黄色いかわいい頭を土から覗かせているのが、だんだん見えなくなっていくのが耐えられませんでした。

もうそこにピーチちゃんの魂は入っていないのに、どうしてこんなに悲しいのだろうと思いました。

 

家の中でペットを看取れることは、最高の最期のひとつです。

そのことを十分わかっているつもりだったけど、とにかく、悲しい。

こんなにかわいいのに、土に埋めて、分解されていくなんて嫌だ、怖い、悲しい。信じたくない。

「腐るまで手元に置いておきたいね」と母に話しかけてしまいました。

 

私のお墓の前で 泣かないでください

そこに私は いません

眠ってなんかいません

 

ああー、「千の風になって」っていい歌詞なんだなあ、ありがたいなあ、と思いました。

 

この、かわいいピーチちゃんの肉体が失われる事実を受け入れるためには、「そこにピーチちゃんはいない」と思うしかないのです。

火葬にしろ、土葬にしろ、お葬式をできずに手元に置き続ける(ミイラ化?)にせよ、このままピーチちゃんの肉体を留めておくことはできない。

どうやっても亡骸とお別れしなければならないのだから、この悲しさを軽減する、ライフハックが必要です。

 

千の風

千の風になって

 

頭の中で秋川雅史が歌い始めます。

セキセイインコの小さな体が吹き飛ばされそうになります。

児童合唱団の歌声を呼び起こして、代わりに歌ってもらいます。

 

あの大きな空を

吹きわたっています

 

ピーチちゃんは、世界とひとつになるんだ!

 

実家から帰宅後、母に「千の風のやつ、いい歌詞だね」とLINEしました。

「ピーチちゃんの身体は土に還って、魂は世界と一緒になるんだね」とLINEしました。

 

母から、「これからは雨が降っても、花が咲いてもピーチちゃんだと思うことにする」と返信がありました。

 

ピーチちゃんは、生まれる前の状態に戻ったのでした。

卵に宿る前の、世界とひとつだった頃に戻ったのでした。

だから今は、全部に、ピーチちゃんが宿っているのです。

 

そういう風に考えたら、わたしは、自分の飼っているピーちゃん(仮名)の死を乗り越えられるでしょうか。

 

ペットを飼い始めるとき、その子が死ぬ時のことまで考えてお迎えするべきだと強く感じました。

お葬式の方法まで考えてもいいです。

 

飼っているピーちゃんも、長くてあと2〜3年で亡くなるでしょう。

強く強く、死のことを考えていこうと思います。

 

そういう、ライフハックです。

 

怒っているので

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みなさんこんばんは。こんにちは。

怒っているので、ブログを書きます。

でも、眠たいので、今日は簡単に書こうと思います。

そして、何回かに分けてでも、ちゃんと自分の考えを書ききろうと思います。

 

東京都知事選がありました。

わたしは蓮舫さんに投票しました。

自分が成人をして、投票権を得てから最初にどこに投票したかは覚えていないのですが、2回目の選挙(なんの選挙だったかは思い出せない)からは日本共産党に投票し続けています。または、日本共産党が支持、支援をする候補者に。

 

なぜかというと、自民党政権にNOと言いたいからです。

「投票したい候補者がいないんだよな〜」と言って、投票をしない友人もたくさんいます。

そういう人にこそ、リベラル派の野党に投票してほしいのです。

選挙においては、それでしか、いまの政治に対してNOと主張する方法がないのです。

無投票は、現政権を肯定することと、ほぼイコールです。

 

わたしは、同性婚に賛成です。

同性婚を認めないなら、異性婚だって無くした方がいいと思っているくらい。

選択的夫婦別姓に賛成です。

そもそも、「イエ」を構成するための戸籍制度って、本当に必要なんでしょうか?

個人は個人、ではいけないのでしょうか?

国が、「自助」を国民に強いることに反対です。

女性を家族制度の中に閉じ込め、出産、育児、介護、家事全般はもちろん、労働までさせて「女性活躍」と言わないでほしい。

ただ、男女の格差をなくしてほしいのです。

こどもたちに対して、人権教育、包括的性教育を行うことに賛成です。

知ることで、選択ができるようになるのです。

「性道徳」を教える必要はありません。統一教会にも日本会議にも忖度しないでください。

神道政治連盟のLGBTQ差別に対して、わたしは真っ向から反対します。

 

LGBTQ理解増進法。

悲しいです。

理解を増進なんかされなくたって、どの人も、いま、この世界に存在しています。いま、いるのです。そのことが、すべてです。「正当な差別」なんかありません。ただ、差別がそこにあるのです。

 

ていうか、裏金問題はどうした。

東日本大震災被災地の復興はどうした。能登半島地震は。

 

人と、お金はどこに流れているんだ。わたしたちの納めた税金は、何に使われているんだ。

 

ほかにも、いろいろ、いろいろあります。

 

 

 

正直なことをいうと、わたしは、平和に暮らしています。

 

だけど、この平和な暮らしが、誰かの苦しみや犠牲の上に成り立っているのです。

 

今まで、わたしは黙って日本共産党に投票してきました。

それが、自民党をはじめとする右派政党への反撃になるからです。

 

政治の話を嫌う人は多いです。

わたしは、周りの人からどう思われるか怖くて、「面倒な人だ」と思われたくなくて、もっというと、「無害な人だ」と思われたくて、あまり政治の話をしてきませんでした。

 

だけど、元アンジュルムハロプロのアイドルグループ)の和田彩花さんが、「蓮舫さんに投票しました」とSNSに投稿していると知り、反省したのです。

彼女はアンジュルム卒業後も人前に立つ仕事をしています。

アイドルという特殊な仕事を長いことやってきました。人から見られ続ける仕事をしてきた彼女が、人から好かれる、嫌われるという次元を越えて発信している。

 

これは本当に人のためになることだ。

と、思いました。

 

なぜか、日本においてはリベラルを支持すると冷たい目で見られます。その恐怖を、越えていかなければならないと思います。

なぜなら、人権侵害の被害を受けている人たちがいるから。生活が成り立たず、困窮している人たちがいるから。

 

自分の生活さえよければいい、では済まない。それは緩やかな加害なのだと。

 

だから、怒っていることを内側に秘めずに、ちゃんと言おうと思いました。

わたしの友人は少し困るかもしれません。

でも、わたし自身は以前から変わりません。

ただ、話すトピックに、政治という項目が含まれるようになるだけです。

 

 

うっ……。

近頃、胃の具合が悪いので、気持ち悪くなってきたあ………。

 

湿度が高いと、胃腸の調子が悪くなりませんか?

わたしは胃酸過多で今朝も吐いてしまいました。

 

そんなわけで、体調優先で、寝ます。

怒りながら、寝ます。

 

おわり

HAZBIN HOTEL

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みなさまお久しぶりです。

なんでもいいから書かねば、と思ったので書いております。

 

吉見俊哉「知的創造の条件:AI的思考を超えるヒント」(筑摩選書/2020年)

 

 

上記の本を読みまして、やはりなんでもいいから書くべし、と思った次第であります。

 

なにかこう。

 

あのお、AmazonのPrime Videoで配信されている「ハズビン・ホテルへようこそ」をご存知ですか。

わたし、ずっとそれ観てて。

本当に下品な作品なんですが、暇さえあれば繰り返し観てるんです。

本当に大好き。

 

それで、やっぱり元の言語(英語)で視聴したくなって、英語版もずっと観ています。

やっと、日本のアニメをきっかけに日本語を勉強してくれる海外ニキたちの気持ちがわかりました。

好きな作品を、オリジナル言語でそのまま楽しみたい!!

なにも取りこぼしたくない!!

 

……しかし、わたしは100年前に英検2級を取っただけの人間……。

RとLの違いもわかりません。

 

ミュージカルの「オペラ座の怪人」が好きなのですが、ブロードウェイ版(英語)と劇団四季版(日本語)を比べると、どうしてもセリフや歌詞の情報量は英語の方が上なんですよね。短い時間でたくさんの意味を込められるのは英語だな〜って思います。

 

日本語には日本語の良さがあるけど、英語にももちろん英語の良さがある、ありまくる……!

 

やっと、英語を勉強したいという気持ちが湧いてきました。

やっと、高校生のときに「ハイスクール・ミュージカル」にはまって英語を勉強していた友人たちの気持ちがわかりました。

やっと、黒板に「あずまんが大王」のイラストを描いていたALTの気持ちがわかりました。

 

えーと、わたしの目標は、そのままHAZBIN  HOTELを視聴して楽しめること、なんだけど、その場合はリスニングができるようになればいいのかな?

赤ちゃんも最初にできるようになるのはきっとリスニングだよね?

その後に喋れるようになって、最後に書けるようになるのかな?

 

リスニングぅぅ〜〜……。

 

いっぱい聞いてれば、できるようになる?

そういうもんでもないよね?

 

なんというのか、能動的なリスニングが必要なのでしょうか?

 

いやあ、でも結局英単語の知識もないといけないしな〜〜

 

 

HAZBIN HOTELに出てくる、Alastor(アラスター)さんという属性盛り盛りおじさんを好きになってしまいまして………。

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↑この人。

 

モノクルかけてるとか、ケモ耳が生えてるとか、髪も目も赤くて歯が黄色いとか言葉で説明してもよくわからんと思って描きました。細部に間違いはあるかもしれませんが、大体こんな感じ。

 

予定通りならば、来年シーズン2が観られるはずなので、その時に英語で視聴してそのまま楽しめたらいいな〜〜〜

 

 

なんでもいいから書こうって、なんでもよすぎたかも。

えと、HAZBIN HOTEL観ている人がいたら、お声がけください。

すばらしさについてお話し、しましょう!!

 

 

おわり。

 

 

 

なにごとにも

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みなさんこんにちは。はむです。

 

どんなことにも、過程がありますよね。

いきなり、ゴールには辿りつかない。

 

過程があるんだから、その、「途中」で、なにかトラブルが起きて、最初からやり直しになることもある。

ただし、私たちには記憶があるから、その分「強くてニューゲーム」だ(厳密には「ニューゲーム」とはいかないけど……)。

 

目的を達成できるかわからなくて不安でも、進んでいくしかない。目的を達成したいなら。

諦めなければ夢が叶うわけではないけど、諦めなければ、夢が叶う「可能性がある」。

もしも、寿命が無限だったら、そして、準備の方向が間違っていなければ、いつかは夢が叶うはず。

 

「過程がある」ということを、受け入れて生きていくしかない。

「過程」がある限り、願ったゴール地点にワープすることはできない。

苦しみながら、たまには喜びながら、道のりを歩んでいくしかない。苦しいけど、これが我々の生きている世界だ。

 

私は、どちらかというと失敗の経験の方が多いから、何をやるにしても恐怖と不安を感じる。成功体験が多い人ならば、こういう感覚にはならないのかもしれない。

がっかりしたくない、という気持ちばかりが強くなり、手っ取り早く成功が欲しくなる。もしくは、「失敗せずに済んだ」という安心が。

後者を手にするのはとても簡単だ。挑戦しなければいいのだ。そうすれば、失敗はない。

 

だけど、もしも成功したいと願うなら、「過程」を歩んでいくしか方法がないわけだから、挑戦しないことそのものが「失敗」ということになる。

挑戦しないとき、私は、失敗しているのだ。

 

どんなことにも、途中がある。

物事を始めて、最初の一歩を踏み出し、道中を歩んでいく。これしかない。

この事実を、受け入れよ。

何度も失敗して、正しい準備ができるようになることが、成功には必要なのだと、学ぶべきだ。心から。

 

 

私は怖がりで、最近、以前にも増して弱いなあと感じることが多かったので、朝からこのような考え事をしていました。

当たり前のことを、自分にわかってもらわなければ。

わかれ!自分!

 

おわり

 

よしなしごと(何度目かの)

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みなさまこんにちは。おはようございます。こんばんは。

お久しぶりです、はむです。

 

またよしなしごとを書こうと思います。

 

少し前のブログで、一日の始まりに「茶色い液体」ことインスタントコーヒーを作っている、と書きましたが、なんとなんとすごいですよ。

今では、一日の始まりにチャイティーを作るようになってしまいました。進歩がすごい。

 

チャイティー用にミルクパンも買ってしまった。

食べ物じゃないですよ。小さいお鍋のことです。

 

ただ、朝にカフェインを摂ることになるので、もうそこから先はほとんどカフェインを摂ることができません。

紅茶2杯以上はやっぱり吐き気が出てしまうので……。えーん、もっとカフェインを摂りたいよう。

 

カフェインが摂れないなら、スパイスを摂ればいいじゃない!

ということで、カルダモンとかシナモンとかナツメグとか入れまくったクッキーを焼くのにもハマっていたのですが、見事に太りました。

スパイスの力でなんとかならんのかと僅かな希望を抱いてはいたのですが、そういえば上記のスパイスの効能をよく知りません。

それよりも、毎回大量に消費される小麦粉のパワーが圧倒的なんでしょうね。気づかないふりをしていたけど、確実に脂肪になってる。もうやめよう、こんなことは。

 

やめよう。

……ということで、昨日購入したのが、カカオ78%のあの苦いチョコレート。

これ、体にいいって聞くし、小麦粉が入っていない分太りにくいのでは!?

 

「おやつを食べない」って発想にならないところが、我ながらでぶりんやな〜〜と思います。

 

私の母はわりかし「巨体」なので、同じ血が流れる私も気をつけないと身体がデラックスになってしまうに違いないと危機感を抱いております。

その危機感のおかげで、なんとか、なんとか、服のサイズをMに留められていると思われるのですが、ここが正念場。

 

カカオ78%チョコレートを食べて物足りなかったら、もう86%チョコレートに格上げして反省しよう(?)。

私、美味しく食べられる限界が78%なんですよね。86%までいくともう、ほんまごめんやけど、あのーそのー、ゴミの味に感じてしまうんだよな。

 

ゴミフレーバーを味わいながら、反省したい。

すみません、企業努力で美味しくしてくれてるのに、ゴミなんて言って。

味に、価値がないと言っているわけではなく、スラングとして「ゴミ」と言っているわけではなく、単純に、ゴミ箱の中を味わったらこうかな?と感じる、という話をしているのであって、あっ、いや、もう何も語らない方が良さそうだな、やめておこう、やめておこう……。とにかくすみませんでした。

 

話は変わって、本について。

他人を搾取するTAKER(テイカー)と、他人に施すGIVER(ギバー)、やってもらったらお返しをするMATCHER(マッチャー)のお話ってあるじゃないですか。ここからはめんどくさいからカタカナで書きますね。

それについての本を、読みたいと思ったんですよ。

最近は、読みたいと思ったらまず図書館に本があるかどうか検索するようにしています。

そしたらなんと!

 

27人待ち

 

の本でした。テイカーギバーマッチャーの、読みたかった本。

読みたい人多すぎ〜!

 

GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代 (単行本)

まあ、予約したんですけど。28人目として。(買え!)

 

本を読んでいない段階では、私は自分のことを、マッチャーか、自己犠牲型ギバーなんじゃないかと思っておりまして……。

「人からよく思われたい」という意識が強すぎて、お願いを断れないし、自分の締め切りがあるのに新しく仕事を引き受けてしまって大変なことになったりしてしまいます。

本当は、本当に素晴らしい人っていうのは、ちゃんと締め切り内に仕事を終えられる人なのだろうし、そのためには他者からのお願いを断れるべきなんだと思う。

まずは、自分の仕事をやり遂げないといけないのだから。

 

さて、そんなわけで、本が読めるのを楽しみにしているわけですが、私は現在、『三体 球状閃電』(早川書房)と『内向型人間の時代』(講談社)を読んでおりまして、どちらもそこそこ厚い本なので、むしろ27人待ちの本を予約できてよかったなーなんて思っているのであります。

本読むの苦手なのでね……。めっちゃ時間かかる。

 

最近読んで、ダントツで感動したのは、『すてきな三にんぐみ』(偕成社)です。

すてきな三にんぐみ

 

子どもたちから見れば、どんな人が「素敵」なのか。あと、泥棒3人組のピュアさ。旅先のカフェに置いてあるのを読んで、ボロボロ泣いてしまいました。情緒不安定。

 

もしよかったら、おすすめの本を教えてもらえると嬉しいです。

一生のどこかで、きっと読むと思います。

 

 

 

催眠療法やってみた

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あけましておめでとうございます。

……と、一応言ってみる。

 

写真は、割と最近に行った赤坂離宮庭園の噴水です。フォトライブラリの中では一番おめでたい写真でしたので……。

 

ぼんやりとした不安に襲われて、布団の中からこのブログを書いています。それで、写真はスマホの中から選びました。

 

私はもともと怠け者で、ぐうたらしている人間ではあるのですが、去年からちょっと臓器と甲状腺ホルモンを悪くしておりまして、その症状の一つに「身体の怠さ」っていうのがあるんですね。

なので、この、身体が重くて動かない感じが、いつもの怠け癖なのか、はたまた症状なのか。

そもそも、元来の怠け癖は性格ではなく、こういった症状のせいだったのか??

甲状腺ホルモンはもっとずっと前から悪かった可能性あり)

 

あと、不安感があるから、うつ症状が出そうになってる感もあるし……。

 

やっぱり、正月早々に階段から落ちて大怪我してるのもよくない。

なんかね、久しぶりにズドドドドって転落しました。ゴミを出そうと思って、マンションの非常階段を降りていたら、足が持ち上がらなくて、スネで階段をサーフィンするみたいにずり落ちて、最後はゴロゴロと身体が転がって、しこたま全身を打ちつけてしまいました(詳細な説明)。

そのあとは風邪気味にもなりました。とほほすぎる〜……。

 

なにはともあれ、身体のエンジンがかからない1月を過ごしております。なんにもやりたくない。

 

カウンセリングの話をします。

 

去年、最後にやってもらったのが「催眠療法」でした。ヒプノシスというやつです。

 

もっと、「催眠にかかってる〜ッ」って感じがするのかと思いましたが、私の場合はそんなでもなかったです。

でも、普通にただ会話をするだけだったら絶対思い出さなかっただろうなってことを思い出せて、感激しました。

 

以下、こんなことしたよってのを書いてみます。

カウンセラーさんの言葉は、『 』に入れることにしますね。

 

 

***

カウンセラーさんがやってくれたのは、私の心の中に、「安心できる場所」を作るという作業でした。

催眠に入るために、『イメージの中で、階段を降りていってください』と言われるのですが、私のイメージでは下の層からどんどん水が充満してきてしまい、階段を降りることが困難でした。靴の底に重たい石をくくりつけるイメージをして、無理やり降りました。

 

ひとつめのフロアでは、身体を守るベールに包まれて、絶対無敵状態になるイメージをしました。「絶対に安心だ」と思うことの難しさ。

本当に難しかったのですが、自分を騙し騙し、イメージできたことにして、次のフロアへ。

 

階段を降り、フロアにたどり着きます。

『ここは、あなたにとって安心できる部屋です。どんな場所ですか?』

 

イメージでは……。

 

ドアがない、四角い部屋。

小さな窓があり、カーテンがあり、外を覗こうと思えば覗ける。

中に入って思いっきり泣くことのできる、布団が用意されている。

電気はなく、窓からの光しか入ってこない。薄暗い。

 

なぜ、安心なのかというと、ドアがないから。

泣いていても、突然誰かが入ってくることがないから。

 

『この部屋に、安心できる存在が入ってきます。どんな人ですか?』

 

しかし、私は、安心できる存在をイメージすることができず……。

「イメージできません」

 

『人間でなくてもいいんですよ』

 

どんな存在だったらこの部屋に居てもらってもいいかなと思うと、化け物みたいな見た目がイメージできました。

 

植物と爬虫類が混ざったような見た目。

牙がたくさんあって、声が出せる口があるけど、多分おしゃべりはできない。

目がない。顔がない。

多肉植物の表面のように、サラサラすべすべとした触り心地の巨大な生き物。

 

『この生き物に名前をつけてみましょう』

身体の色がピンクとクリームのマーブル模様だったので、マーブルと名付けることに。

 

会話ができず、目がないので、表情を気にせず側にいることができる。

安心する。

 

『マーブルはあなたに贈り物をしてくれるようです。何をもらいましたか?』

マーブルは……。

 

背中に生えている植物の葉っぱのようなものを千切って渡してくれた。

マーブルの身体の色でかわいいし、すべすべしてあったかい。手のひらサイズなので、いつでも取り出して撫でることができる。

 

この部屋を出て、次のフロアへ。

 

『階段を降りると、あなたの小さい頃へ一気にジャンプします』と言われ、あ〜うまく飛べる気がしないよ〜、と不安だったのですが、無理くりジャンプに成功。

 

5歳か4歳くらい。

当時着ていた服を着ている。

ソファのある部屋の中央で、ひとり、床にうずくまって泣いている。

 

『どうして泣くことになったのか、教えてもらえますか?』

 

わからない。

 

どうして泣いているのか、わからない。

 

「わかり…ません……」と答える。

この頃になると、催眠がちょっとかかっているのか、思うようにしゃべることができませんでした。

 

少し考えて、思い出せそうにない当時のことを「わかる?」って自分に聞いてみる。

口から出てきたのは、「つまらない……」という一言。

 

そして、こんな感じで自分がぼーっとしゃべりだした。

 

「つまら……ない。やることが……ないから……泣いている。」

「泣くと……気持ちが興奮して……訳がわからなくなって……呼吸が乱れて……」

「しばらくすると、落ち着いてくる……。その、落ち着くときに……安心した感じがするから……」

「感情が昂って、落ち着いて、安心する、その流れが、私にとって、暇つぶし……娯楽……」

 

 

そうだ……。

 

そうだった……。

 

遊び相手はいない……。

 

一人で遊べるおもちゃもない……。

 

なんだか寂しい気持ちになったとき、その気持ちを集めて、盛り上げて、涙を流し始めると、いずれ大泣きすることができた。

 

大泣きできれば、息が乱れて苦しくなってぼーっとできた。涙でびちょびちょだし、変化が面白い。

その後には気持ちも呼吸も落ち着くフェーズに入り、じんわりと温かい気持ちになれた。胸の内側からオレンジ色で満たされる感じというか、安心感を得ることができた。

 

『泣いているとき、周りに誰かいますか?』

 

誰も……いません。

家には……一人です。

 

『それは、あなたが寂しさを紛らわせるための発明だったんですね。では、別の時間へ行ってみましょう』

 

『別の世界線でも、どこへでも行けます。あなたは幸せでいっぱいです。どこにいますか?』

 

テーブルとテレビのある部屋。

お皿がたくさん。料理が人数分。

おばあちゃんと、父親と、母親、弟、私、全員いる。

みんな笑顔。

同じテーブルで食べられて、みんながいて、自分が、「家族の一員」だと思えて、嬉しい。

 

『おばあちゃんでも、お父さんでもお母さんでも、話しかけてみましょう。なんて言っていますか?』

 

話しかけても、なかったことにされる。

無視というか、返事は返ってきません。

(笑っているみんなの会話がイメージできないから?)

 

『そう……。でも、みんなでご飯が食べられて、嬉しいね。』

 

***

 

ちょっと端折っていますが、こんな感じのことをイメージの中で体験して、帰ってきました。

心の中の考え事と、報告とが一緒くたになってしまって、かなり読みにくい文章になってしまいました。すみません。

 

私としては、小さい頃の不安と不満を思い出すことができて、なんだか安心しました。

つまり、私には心の拠点となる場所、大人が(身近には)いなかったのです。

父方の祖母(今回出てきたおばあちゃん)は、私の面倒を見てくれたけど、生きるためのお世話であって、泣いているときに側にいてくれるとか、慰めてくれることはなかったように思います。

両親は仕事でいないし、祖母は家事の時以外は習い事に行ってしまうか、自分の部屋にいて、私はリビングに一人でした。

夜の8時前には寝かされていたので、父にはまず会わないし、スーツ姿の母に一目会えたらいい方でした。

 

家族みんなで夕食を食べた記憶は、2回ほど。

そのどちらも、母が不機嫌になり、父も不機嫌になり、嫌な思い出です。

そのうち1回の、両親が不機嫌になった原因は、私がテレビの下品なバラエティ番組で笑ってしまったことでした。

母が叫ぶように怒り、それを見た父が「いいじゃねえかよ!」と怒り。

 

父は、私を庇うために祖母や母を怒る人でした。叱るというか、全力で怒鳴りつける感じ。

すごく、それが嫌だった。

 

みんなで、仲良く食事ができた記憶なんかない。いつも誰かが怒っていた。

 

人が怒る声は怖い。

嫌だ……。

 

両親といたいけど、2人一緒だと喧嘩するから、いたくない。

仕事で忙しいのを知っているし、怒らせたくないから、もっと遊んでほしいって言えない。

遊んでもらっても、いつ不機嫌になるかわからないから怖い。

 

 

子どもにとって、家族のことを思い出そうとした時、大人が不機嫌そうにしている映像ばかり出てくるのは不幸なことだと思います。

 

私は、大人が不機嫌な理由を、自分に求めすぎていたようにも思います。

私が、怒らせているんだと。

 

だから、催眠療法でも、笑顔の家族と会話することができなかったんじゃないか(無視された)。

 

次のカウンセリングでは普通の心理カウンセリングをしてもらいます。

最終的には、催眠療法で、現在の自分と過去の自分が会話するところまでいけるといい感じらしいです。

 

どうでしょうか、カウンセリングを受けている他人の話って割と面白いんじゃないかな〜と思って書いていますが……面白いですか?

 

ではまた。