趣味の話

みなさまこんにちは。
突然、ブログを書く機会に恵まれたので書いています。
やっぱり人間の意思って半分以上「環境」から生まれるのかも。
ブログを書く機会、といったけど、別に特別ななにかがあったわけじゃない。
子どもを預けて、コメダ珈琲のカウンター席に案内され、百億年ぶりに開くノートパソコンをちまちまいじって、Excelを使わないと申請できないとある手続きをした。
そしたら、時間が少しだけ余った。
目の前にはノートパソコンがある……。
キーボード触るの久しぶりだな~、ブログ書いてみようかな~……。
という感じ。
私はキーボードに触ることが、「ブログ書きたい」に繋がる人間だったのか!
あと、家族のだれにもみられていない環境というのも大事。
そんな話はさておき。
私はいま、趣味で朗読を習っているのですが。
今度発表会があるんだよね。
私1人で発表するわけじゃなくて、5~6人のグループで1つの作品を読む。誰がどこをどう読むかは先生の指導に従う。
私の役は、強くて勇ましい女の子。
馬に乗るのが好きで、物干しざおほどの棒を振り回しながら暮らしている女の子。
その女の子が、自分の村を守るために命を懸けて戦うことを決意する……というようなお話をやる。
先生からは、「(声に)もっと勇ましさや強さが欲しい」と何回も指導をうけた。
私は困った。
自分の中に、それを出せる引き出しがないのだ。
ない。
なーい!
強さや、覚悟を声に乗せようとすると、なぜか悲しそうな音程になってしまう。
「マイナーじゃなくて、メジャーの音程で読める?」と先生から言われる。
頭の中で「ドミソ~♪」と和音を鳴らしてから読むようにするとだいぶ改善された。
……けど、根本解決にはなっていない。
私は、納得して読みたいのだ。
お話にも納得したいし、自分にも納得したい。
朗読してみて思ったのは、私は「強さ」って、どちらかといえば、「悪いこと」だと感じている、ということだ。
今回読むお話の中では、女の子は自身の強さを、他者を守るために使おうとする。
それって、いいことだよね?
いのちを懸けて戦おうとする。
それ……は、尊い……とは思うけど、どうなんだろ、ここがマジでわからない。
多分、私が今まで「いのちを懸ければ、困難を乗り越えられるな」と思ったことがないからだと思う。
自分という生命を賭せば、事態がよくなると確信したことがない。
だいたいの人はそうだろ、とも思うけど。
そもそも、どうやったら「私は強い」と思えるのか?
なにかヒントが欲しい。強さそのものじゃなくてもいい、自信。
確固たる自信……が、私の中のどこかにあれば、それを引っ張り出して、「わたしがやる!!!!!!!」という気持ちにつなげられそうな気がする。
強さって、結果じゃなくてプロセスのような気がする。
十分戦ってきた過去からくる自信とか。
守りたいなにかについてたくさんの思い出があるとか。
だから、急に「強さ出して~」と言われても厳しい。
自分の中に「思い当たるフシ」がないと……。
私が、自信を持っていたことってさ。
小学生の時に……(小学生!?)。
遠足のしおりの表紙にイラストを描くのをよくお願いされていて。
これは、自信があったと思う。
初めて描いたときは、先生から頼まれて、まさかそれが生徒全員に配布される資料の表紙になるとは理解していなかった。
でも小学3年生とか4年生とかになると、「まかしとけ!」って気持ちだった。
それは、表紙をみた人たちがポジティブなコメントをくれたから。
担任の先生たちが、「あの子は絵に自信あり」と認識していて、私に声をかけて役割をくれたから。
強さって、自信って、一人では絶対に持てないものかも。
「他者と比べてどう」からしか生まれないかも。
ナンバーワンになろうということではなく。
「この中では私が適任だから、やるね!!」って、胸を張っていえるってことかも。
自分がやることが、他の人のためにもなるって確信するってことが、善い強さ……なのかも。
強さって、他者を傷つけるのにうってつけだから。
傷つけなくても、あるだけで威圧的だったりするから。
どちらかといえば、「ない」方が平和でいいじゃないかって、思い込んでる。
善い強さは、「自分がやるのがみんなのためになるんだ」と確信できる、過去と自信があるってことなのかもな~。
ブログ書いてよかったな。
書く前よりずっと、馬に乗って棒を振り回すことに自信ネキの気持ちがわかりかけてきました。
わかりかけてくる予感がしています(遠い……)。
おわり
ペットロス セキセイインコ

このタイトルにしたのは、同じような気持ちの人がこの記事を探しやすいようにするため。
先月、愛鳥が亡くなりました。8才と数ヶ月。一応、平均寿命ではあります。
悲しくて悲しくて、私は同じような状況の人の気持ちを知りたくて、読みたくて、色々検索していました。
あまりセキセイインコのペットロスについて書いている人は見つからなかったけど、いくつか日記のようなものを拝読して、少し救われました。
だから、私も書きます。
セキセイインコはかわいいです。
永遠の2歳児です。
人間の言葉は話せなくても、しっかりコミュニケーションが取れます。
言いたいことを伝えてきます。これがいい、あれはやだ。
人間のわがままで、ペットとして飼われています。
本当ならオーストラリアで平均寿命1〜2年でワイルドに暮らしているはず。
人間のわがままで人間の家で暮らし、その人(鳥)生は完全に飼い主に依存します。
私のしたことが、彼女の人生のすべてでした。
おやすみカバーを外されて一日が始まり、計量されたご飯をもらい、体重を管理されていました。
私が一人暮らしをしていた頃、私が仕事や予定で家を空けている間はひとりぼっちでした。
彼女はいつも、待っていました。
いや、待たされていました。人間の都合によって。
今は後悔しています。一人暮らしなのにペットを飼ったことを。1羽きりで飼ったことを。
私が結婚して家にいるようになってからはそれなりに楽しかったのではないかと思います。
夫も在宅が多く、「群れ」を感じて安心できたと思います。
感情豊かになり、主張も多くなりました。
私たち夫婦はそのことを大いに喜び、楽しみました。
彼女中心に、生活が回っていたのです。
出かけても、「あの子が待っているから早く帰ろう」と思う。
旅行に行くにも、「病院でペットホテルが予約できたら考えよう」と思う。
朝起きたら、自分のトイレを我慢してでも彼女のおやすみカバーを開けてあげたい。
人間の都合は、ずっと彼女のお世話のために制限されてきました。
幸せな不自由でした。
彼女のために、不自由であることが、幸せでした。
私の一部だったのです。
8年間。
私は、受け入れられていません。
もう、自由であることを。
朝、どれだけ寝坊しても彼女はもういない。
夜、どれだけ遅く帰っても、彼女はもういない。
朝と夕方の体重測定をしない。
朝と夕方のご飯タイムがない。トレーニングもしない。
呼び鳴きがない。
室温に気をつけなくていい。
ご飯で汚れたり、フンで汚れたり、羽根で散らかったりしない。
ない、ない。
ただ単にインコが1羽亡くなったというだけではない。
今まであった、私という存在を構成していたものが、ガクッと失われて、その現実をただ痛みとして感じています。
この痛みが続くのは苦しいです。
でも、忘れてしまうのも、悲しいです。
今、一番苦しいのは、「もっといい人生にしてあげられたはず」という後悔があることです。
平均寿命まで生きてもらうこと。
ロストしないこと。
彼女をお迎えした時に、この2つを目標としました。
どちらも、達成できました(本当はもう少し、10才以上生きて欲しかったけど)。
だけど、ごめんね、ごめんね、という気持ちが強いです。
寒かったよね。もっとあったかくしてあげればよかった。
(だって、彼女の人生は私に依存しているのだから)
食事制限ばかりでつまらなかったよね。死ぬとわかっていたら、好きなだけシードを食べさせたかった。
(彼女は管理され、食べるものを選べなかった)
家には、補充したばかりの完全栄養食ペレット、大好きだった粟の穂、シードがたくさんたくさんあります。
「生きているうちに食べきれないね?」なんて話しかけていましたが、本当にそうなってしまいました。
本当にご飯が好きな子だった。
亡くなるほど弱っていると気がつけたなら。
好きなだけ、好きなだけ食べてほしかった。
寒いよ、お腹が空いたよ、ご飯はまだかな……と思いながら亡くなったのではないか。
そういう思いが消えません。
苦しい。
セキセイインコは素晴らしいです。
彼らと暮らす日々は、本当に素晴らしいものだと思います。
でも、彼らの人生は、ペットとして生きる限り、飼い主に完全に依存しています。
後悔する余地があることが、一番恐ろしいことなのだとわかりました。
お金も時間もかけるべきです。
それができなさそうなら、飼わない方がいいです。
私は、観察していたつもりで、甘かった。
健康診断の結果だけ、先生の言葉だけ信じて、目の前の「まさか」を見落とした。
「元気なはず」という思い込みが、彼女の寿命を縮めた。
8年間の人生、どうだった?
悪くなかったと、言ってもらえるだろうか?
楽しいこともあったと。
安心して過ごせたと。
爪切りの時以外は、怖い思いをしないで平和でいられたと。
私と出会ってくれてありがとう。
こんなにも大切な存在でいてくれてありがとう。
どうかまた、夢に出てきてください。
たくさんたくさん、ご飯をあげるよ!
ペットが亡くなるとき
母の飼っていたセキセイインコが亡くなった。
仮にピーチちゃんとする。
ピーチちゃんは、わたしの飼っているセキセイインコと同い年だ。
今年で8歳。
セキセイインコの平均寿命だ。
よくがんばったと思う。
ピーチちゃんが亡くなったと知らせを受けたのは、昨日の昼過ぎだった。
台風の影響で、あちこち交通機関が止まってしまっている日だった。
翌日にはもう埋葬するというので、わたしはピーチちゃんを一目見るために、なんとしても実家に帰りたかった。
ぐずぐずと泣きながら寝た。頭痛がした。
朝起きると、ばっちり(実家までの)交通機関は復活していた。
ところで、わたしは先月引っ越しをした。
家から一番近い商業施設は、便利なのか不便なのかすらわかっておらず、どんな店が入っているのか勉強中。
だけど、な〜んか「写真屋さん」があるな〜……とは思っていた。
フォトフレームがたくさん売っていて、「スマホからすぐにプリントできます!」「オリジナルアクスタ作れます!」と書いてあって、スマホを繋いで何かするのであろうマシンが並んでいるな〜……と。
その記憶が、役に立った。
わたしは、ピーチちゃんの訃報を聞いた帰り道、花屋でピーチちゃんをイメージしたフラワーアレンジメントを作ってもらい、写真屋で遺影(というほどのものではないけど)を作成した。
すごいスピードで、お葬式セットを作った。
ピーチちゃんのフラワーアレンジメントと遺影を注文して思ったのは、ペットのお葬式は自由でいいな、ということだった。
とにかく、決まりも何もないので、「かわいかったこと」「楽しかったこと」、そんなイメージを詰め込んで、明るくて華やかなものになった。
人間のお葬式も、あんなにしめやかにしないで、亡くなった人のイメージに合わせていろんな色を使ったらいいのに、と思った。
本当は、その日は帰りにトイレットペーパーを買おうと思っていたのだが、お花と遺影で胸がいっぱい、疲労感もいっぱいになってしまい即帰宅した。
めまいがすることを伝え、夫に料理を手伝ってもらって夕食を準備した。
ピーチちゃんに贈る詩を頭の中で考えていたら、突然「悲しい」という感情があふれてしまって食欲が失せ、夕食を半分残した。
そんなこんなで、本日、お花とお写真を持って実家に行ってまいりました。
ティッシュを敷き詰めた箱の中に、眠ったように横たわるピーチちゃんがいました。
お気に入りだったおもちゃと、小さなお花も一緒に入れられていました。
毛がふわふわで、色が綺麗で、こんなにかわいいのに、土に埋めなければならない事実を受け入れられませんでした。
もうピーチちゃんを埋める穴は事前に掘ってあったようで、早々に埋葬の運びとなりました。
用意してきた詩を読ませてもらい、飼い主であった母が自分で土をかけました。
わたしも夫も、弟も土を少しずつかけました。
黄色いかわいい頭を土から覗かせているのが、だんだん見えなくなっていくのが耐えられませんでした。
もうそこにピーチちゃんの魂は入っていないのに、どうしてこんなに悲しいのだろうと思いました。
家の中でペットを看取れることは、最高の最期のひとつです。
そのことを十分わかっているつもりだったけど、とにかく、悲しい。
こんなにかわいいのに、土に埋めて、分解されていくなんて嫌だ、怖い、悲しい。信じたくない。
「腐るまで手元に置いておきたいね」と母に話しかけてしまいました。
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私は いません
眠ってなんかいません
ああー、「千の風になって」っていい歌詞なんだなあ、ありがたいなあ、と思いました。
この、かわいいピーチちゃんの肉体が失われる事実を受け入れるためには、「そこにピーチちゃんはいない」と思うしかないのです。
火葬にしろ、土葬にしろ、お葬式をできずに手元に置き続ける(ミイラ化?)にせよ、このままピーチちゃんの肉体を留めておくことはできない。
どうやっても亡骸とお別れしなければならないのだから、この悲しさを軽減する、ライフハックが必要です。
千の風に
千の風になって
頭の中で秋川雅史が歌い始めます。
セキセイインコの小さな体が吹き飛ばされそうになります。
児童合唱団の歌声を呼び起こして、代わりに歌ってもらいます。
あの大きな空を
吹きわたっています
ピーチちゃんは、世界とひとつになるんだ!
実家から帰宅後、母に「千の風のやつ、いい歌詞だね」とLINEしました。
「ピーチちゃんの身体は土に還って、魂は世界と一緒になるんだね」とLINEしました。
母から、「これからは雨が降っても、花が咲いてもピーチちゃんだと思うことにする」と返信がありました。
ピーチちゃんは、生まれる前の状態に戻ったのでした。
卵に宿る前の、世界とひとつだった頃に戻ったのでした。
だから今は、全部に、ピーチちゃんが宿っているのです。
そういう風に考えたら、わたしは、自分の飼っているピーちゃん(仮名)の死を乗り越えられるでしょうか。
ペットを飼い始めるとき、その子が死ぬ時のことまで考えてお迎えするべきだと強く感じました。
お葬式の方法まで考えてもいいです。
飼っているピーちゃんも、長くてあと2〜3年で亡くなるでしょう。
強く強く、死のことを考えていこうと思います。
そういう、ライフハックです。
怒っているので

みなさんこんばんは。こんにちは。
怒っているので、ブログを書きます。
でも、眠たいので、今日は簡単に書こうと思います。
そして、何回かに分けてでも、ちゃんと自分の考えを書ききろうと思います。
東京都知事選がありました。
わたしは蓮舫さんに投票しました。
自分が成人をして、投票権を得てから最初にどこに投票したかは覚えていないのですが、2回目の選挙(なんの選挙だったかは思い出せない)からは日本共産党に投票し続けています。または、日本共産党が支持、支援をする候補者に。
なぜかというと、自民党政権にNOと言いたいからです。
「投票したい候補者がいないんだよな〜」と言って、投票をしない友人もたくさんいます。
そういう人にこそ、リベラル派の野党に投票してほしいのです。
選挙においては、それでしか、いまの政治に対してNOと主張する方法がないのです。
無投票は、現政権を肯定することと、ほぼイコールです。
わたしは、同性婚に賛成です。
同性婚を認めないなら、異性婚だって無くした方がいいと思っているくらい。
選択的夫婦別姓に賛成です。
そもそも、「イエ」を構成するための戸籍制度って、本当に必要なんでしょうか?
個人は個人、ではいけないのでしょうか?
国が、「自助」を国民に強いることに反対です。
女性を家族制度の中に閉じ込め、出産、育児、介護、家事全般はもちろん、労働までさせて「女性活躍」と言わないでほしい。
ただ、男女の格差をなくしてほしいのです。
こどもたちに対して、人権教育、包括的性教育を行うことに賛成です。
知ることで、選択ができるようになるのです。
「性道徳」を教える必要はありません。統一教会にも日本会議にも忖度しないでください。
神道政治連盟のLGBTQ差別に対して、わたしは真っ向から反対します。
LGBTQ理解増進法。
悲しいです。
理解を増進なんかされなくたって、どの人も、いま、この世界に存在しています。いま、いるのです。そのことが、すべてです。「正当な差別」なんかありません。ただ、差別がそこにあるのです。
ていうか、裏金問題はどうした。
人と、お金はどこに流れているんだ。わたしたちの納めた税金は、何に使われているんだ。
ほかにも、いろいろ、いろいろあります。
正直なことをいうと、わたしは、平和に暮らしています。
だけど、この平和な暮らしが、誰かの苦しみや犠牲の上に成り立っているのです。
今まで、わたしは黙って日本共産党に投票してきました。
それが、自民党をはじめとする右派政党への反撃になるからです。
政治の話を嫌う人は多いです。
わたしは、周りの人からどう思われるか怖くて、「面倒な人だ」と思われたくなくて、もっというと、「無害な人だ」と思われたくて、あまり政治の話をしてきませんでした。
だけど、元アンジュルム(ハロプロのアイドルグループ)の和田彩花さんが、「蓮舫さんに投票しました」とSNSに投稿していると知り、反省したのです。
彼女はアンジュルム卒業後も人前に立つ仕事をしています。
アイドルという特殊な仕事を長いことやってきました。人から見られ続ける仕事をしてきた彼女が、人から好かれる、嫌われるという次元を越えて発信している。
これは本当に人のためになることだ。
と、思いました。
なぜか、日本においてはリベラルを支持すると冷たい目で見られます。その恐怖を、越えていかなければならないと思います。
なぜなら、人権侵害の被害を受けている人たちがいるから。生活が成り立たず、困窮している人たちがいるから。
自分の生活さえよければいい、では済まない。それは緩やかな加害なのだと。
だから、怒っていることを内側に秘めずに、ちゃんと言おうと思いました。
わたしの友人は少し困るかもしれません。
でも、わたし自身は以前から変わりません。
ただ、話すトピックに、政治という項目が含まれるようになるだけです。
うっ……。
近頃、胃の具合が悪いので、気持ち悪くなってきたあ………。
湿度が高いと、胃腸の調子が悪くなりませんか?
わたしは胃酸過多で今朝も吐いてしまいました。
そんなわけで、体調優先で、寝ます。
怒りながら、寝ます。
おわり
HAZBIN HOTEL

みなさまお久しぶりです。
なんでもいいから書かねば、と思ったので書いております。
吉見俊哉「知的創造の条件:AI的思考を超えるヒント」(筑摩選書/2020年)
上記の本を読みまして、やはりなんでもいいから書くべし、と思った次第であります。
なにかこう。
あのお、AmazonのPrime Videoで配信されている「ハズビン・ホテルへようこそ」をご存知ですか。
わたし、ずっとそれ観てて。
本当に下品な作品なんですが、暇さえあれば繰り返し観てるんです。
本当に大好き。
それで、やっぱり元の言語(英語)で視聴したくなって、英語版もずっと観ています。
やっと、日本のアニメをきっかけに日本語を勉強してくれる海外ニキたちの気持ちがわかりました。
好きな作品を、オリジナル言語でそのまま楽しみたい!!
なにも取りこぼしたくない!!
……しかし、わたしは100年前に英検2級を取っただけの人間……。
RとLの違いもわかりません。
ミュージカルの「オペラ座の怪人」が好きなのですが、ブロードウェイ版(英語)と劇団四季版(日本語)を比べると、どうしてもセリフや歌詞の情報量は英語の方が上なんですよね。短い時間でたくさんの意味を込められるのは英語だな〜って思います。
日本語には日本語の良さがあるけど、英語にももちろん英語の良さがある、ありまくる……!
やっと、英語を勉強したいという気持ちが湧いてきました。
やっと、高校生のときに「ハイスクール・ミュージカル」にはまって英語を勉強していた友人たちの気持ちがわかりました。
やっと、黒板に「あずまんが大王」のイラストを描いていたALTの気持ちがわかりました。
えーと、わたしの目標は、そのままHAZBIN HOTELを視聴して楽しめること、なんだけど、その場合はリスニングができるようになればいいのかな?
赤ちゃんも最初にできるようになるのはきっとリスニングだよね?
その後に喋れるようになって、最後に書けるようになるのかな?
リスニングぅぅ〜〜……。
いっぱい聞いてれば、できるようになる?
そういうもんでもないよね?
なんというのか、能動的なリスニングが必要なのでしょうか?
いやあ、でも結局英単語の知識もないといけないしな〜〜
HAZBIN HOTELに出てくる、Alastor(アラスター)さんという属性盛り盛りおじさんを好きになってしまいまして………。

↑この人。
モノクルかけてるとか、ケモ耳が生えてるとか、髪も目も赤くて歯が黄色いとか言葉で説明してもよくわからんと思って描きました。細部に間違いはあるかもしれませんが、大体こんな感じ。
予定通りならば、来年シーズン2が観られるはずなので、その時に英語で視聴してそのまま楽しめたらいいな〜〜〜
なんでもいいから書こうって、なんでもよすぎたかも。
えと、HAZBIN HOTEL観ている人がいたら、お声がけください。
すばらしさについてお話し、しましょう!!
おわり。
なにごとにも

みなさんこんにちは。はむです。
どんなことにも、過程がありますよね。
いきなり、ゴールには辿りつかない。
過程があるんだから、その、「途中」で、なにかトラブルが起きて、最初からやり直しになることもある。
ただし、私たちには記憶があるから、その分「強くてニューゲーム」だ(厳密には「ニューゲーム」とはいかないけど……)。
目的を達成できるかわからなくて不安でも、進んでいくしかない。目的を達成したいなら。
諦めなければ夢が叶うわけではないけど、諦めなければ、夢が叶う「可能性がある」。
もしも、寿命が無限だったら、そして、準備の方向が間違っていなければ、いつかは夢が叶うはず。
「過程がある」ということを、受け入れて生きていくしかない。
「過程」がある限り、願ったゴール地点にワープすることはできない。
苦しみながら、たまには喜びながら、道のりを歩んでいくしかない。苦しいけど、これが我々の生きている世界だ。
私は、どちらかというと失敗の経験の方が多いから、何をやるにしても恐怖と不安を感じる。成功体験が多い人ならば、こういう感覚にはならないのかもしれない。
がっかりしたくない、という気持ちばかりが強くなり、手っ取り早く成功が欲しくなる。もしくは、「失敗せずに済んだ」という安心が。
後者を手にするのはとても簡単だ。挑戦しなければいいのだ。そうすれば、失敗はない。
だけど、もしも成功したいと願うなら、「過程」を歩んでいくしか方法がないわけだから、挑戦しないことそのものが「失敗」ということになる。
挑戦しないとき、私は、失敗しているのだ。
どんなことにも、途中がある。
物事を始めて、最初の一歩を踏み出し、道中を歩んでいく。これしかない。
この事実を、受け入れよ。
何度も失敗して、正しい準備ができるようになることが、成功には必要なのだと、学ぶべきだ。心から。
私は怖がりで、最近、以前にも増して弱いなあと感じることが多かったので、朝からこのような考え事をしていました。
当たり前のことを、自分にわかってもらわなければ。
わかれ!自分!
おわり
よしなしごと(何度目かの)

みなさまこんにちは。おはようございます。こんばんは。
お久しぶりです、はむです。
またよしなしごとを書こうと思います。
少し前のブログで、一日の始まりに「茶色い液体」ことインスタントコーヒーを作っている、と書きましたが、なんとなんとすごいですよ。
今では、一日の始まりにチャイティーを作るようになってしまいました。進歩がすごい。
チャイティー用にミルクパンも買ってしまった。
食べ物じゃないですよ。小さいお鍋のことです。
ただ、朝にカフェインを摂ることになるので、もうそこから先はほとんどカフェインを摂ることができません。
紅茶2杯以上はやっぱり吐き気が出てしまうので……。えーん、もっとカフェインを摂りたいよう。
カフェインが摂れないなら、スパイスを摂ればいいじゃない!
ということで、カルダモンとかシナモンとかナツメグとか入れまくったクッキーを焼くのにもハマっていたのですが、見事に太りました。
スパイスの力でなんとかならんのかと僅かな希望を抱いてはいたのですが、そういえば上記のスパイスの効能をよく知りません。
それよりも、毎回大量に消費される小麦粉のパワーが圧倒的なんでしょうね。気づかないふりをしていたけど、確実に脂肪になってる。もうやめよう、こんなことは。
やめよう。
……ということで、昨日購入したのが、カカオ78%のあの苦いチョコレート。
これ、体にいいって聞くし、小麦粉が入っていない分太りにくいのでは!?
「おやつを食べない」って発想にならないところが、我ながらでぶりんやな〜〜と思います。
私の母はわりかし「巨体」なので、同じ血が流れる私も気をつけないと身体がデラックスになってしまうに違いないと危機感を抱いております。
その危機感のおかげで、なんとか、なんとか、服のサイズをMに留められていると思われるのですが、ここが正念場。
カカオ78%チョコレートを食べて物足りなかったら、もう86%チョコレートに格上げして反省しよう(?)。
私、美味しく食べられる限界が78%なんですよね。86%までいくともう、ほんまごめんやけど、あのーそのー、ゴミの味に感じてしまうんだよな。
ゴミフレーバーを味わいながら、反省したい。
すみません、企業努力で美味しくしてくれてるのに、ゴミなんて言って。
味に、価値がないと言っているわけではなく、スラングとして「ゴミ」と言っているわけではなく、単純に、ゴミ箱の中を味わったらこうかな?と感じる、という話をしているのであって、あっ、いや、もう何も語らない方が良さそうだな、やめておこう、やめておこう……。とにかくすみませんでした。
話は変わって、本について。
他人を搾取するTAKER(テイカー)と、他人に施すGIVER(ギバー)、やってもらったらお返しをするMATCHER(マッチャー)のお話ってあるじゃないですか。ここからはめんどくさいからカタカナで書きますね。
それについての本を、読みたいと思ったんですよ。
最近は、読みたいと思ったらまず図書館に本があるかどうか検索するようにしています。
そしたらなんと!
27人待ち
の本でした。テイカーギバーマッチャーの、読みたかった本。
読みたい人多すぎ〜!
まあ、予約したんですけど。28人目として。(買え!)
本を読んでいない段階では、私は自分のことを、マッチャーか、自己犠牲型ギバーなんじゃないかと思っておりまして……。
「人からよく思われたい」という意識が強すぎて、お願いを断れないし、自分の締め切りがあるのに新しく仕事を引き受けてしまって大変なことになったりしてしまいます。
本当は、本当に素晴らしい人っていうのは、ちゃんと締め切り内に仕事を終えられる人なのだろうし、そのためには他者からのお願いを断れるべきなんだと思う。
まずは、自分の仕事をやり遂げないといけないのだから。
さて、そんなわけで、本が読めるのを楽しみにしているわけですが、私は現在、『三体 球状閃電』(早川書房)と『内向型人間の時代』(講談社)を読んでおりまして、どちらもそこそこ厚い本なので、むしろ27人待ちの本を予約できてよかったなーなんて思っているのであります。
本読むの苦手なのでね……。めっちゃ時間かかる。
最近読んで、ダントツで感動したのは、『すてきな三にんぐみ』(偕成社)です。
子どもたちから見れば、どんな人が「素敵」なのか。あと、泥棒3人組のピュアさ。旅先のカフェに置いてあるのを読んで、ボロボロ泣いてしまいました。情緒不安定。
もしよかったら、おすすめの本を教えてもらえると嬉しいです。
一生のどこかで、きっと読むと思います。


