炭酸が抜けるまでの日記

アラサーパート主婦のどうでも日記です。最終目標は安らかに暮らすことです。

HAZBIN HOTEL

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みなさまお久しぶりです。

なんでもいいから書かねば、と思ったので書いております。

 

吉見俊哉「知的創造の条件:AI的思考を超えるヒント」(筑摩選書/2020年)

 

 

上記の本を読みまして、やはりなんでもいいから書くべし、と思った次第であります。

 

なにかこう。

 

あのお、AmazonのPrime Videoで配信されている「ハズビン・ホテルへようこそ」をご存知ですか。

わたし、ずっとそれ観てて。

本当に下品な作品なんですが、暇さえあれば繰り返し観てるんです。

本当に大好き。

 

それで、やっぱり元の言語(英語)で視聴したくなって、英語版もずっと観ています。

やっと、日本のアニメをきっかけに日本語を勉強してくれる海外ニキたちの気持ちがわかりました。

好きな作品を、オリジナル言語でそのまま楽しみたい!!

なにも取りこぼしたくない!!

 

……しかし、わたしは100年前に英検2級を取っただけの人間……。

RとLの違いもわかりません。

 

ミュージカルの「オペラ座の怪人」が好きなのですが、ブロードウェイ版(英語)と劇団四季版(日本語)を比べると、どうしてもセリフや歌詞の情報量は英語の方が上なんですよね。短い時間でたくさんの意味を込められるのは英語だな〜って思います。

 

日本語には日本語の良さがあるけど、英語にももちろん英語の良さがある、ありまくる……!

 

やっと、英語を勉強したいという気持ちが湧いてきました。

やっと、高校生のときに「ハイスクール・ミュージカル」にはまって英語を勉強していた友人たちの気持ちがわかりました。

やっと、黒板に「あずまんが大王」のイラストを描いていたALTの気持ちがわかりました。

 

えーと、わたしの目標は、そのままHAZBIN  HOTELを視聴して楽しめること、なんだけど、その場合はリスニングができるようになればいいのかな?

赤ちゃんも最初にできるようになるのはきっとリスニングだよね?

その後に喋れるようになって、最後に書けるようになるのかな?

 

リスニングぅぅ〜〜……。

 

いっぱい聞いてれば、できるようになる?

そういうもんでもないよね?

 

なんというのか、能動的なリスニングが必要なのでしょうか?

 

いやあ、でも結局英単語の知識もないといけないしな〜〜

 

 

HAZBIN HOTELに出てくる、Alastor(アラスター)さんという属性盛り盛りおじさんを好きになってしまいまして………。

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↑この人。

 

モノクルかけてるとか、ケモ耳が生えてるとか、髪も目も赤くて歯が黄色いとか言葉で説明してもよくわからんと思って描きました。細部に間違いはあるかもしれませんが、大体こんな感じ。

 

予定通りならば、来年シーズン2が観られるはずなので、その時に英語で視聴してそのまま楽しめたらいいな〜〜〜

 

 

なんでもいいから書こうって、なんでもよすぎたかも。

えと、HAZBIN HOTEL観ている人がいたら、お声がけください。

すばらしさについてお話し、しましょう!!

 

 

おわり。

 

 

 

なにごとにも

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みなさんこんにちは。はむです。

 

どんなことにも、過程がありますよね。

いきなり、ゴールには辿りつかない。

 

過程があるんだから、その、「途中」で、なにかトラブルが起きて、最初からやり直しになることもある。

ただし、私たちには記憶があるから、その分「強くてニューゲーム」だ(厳密には「ニューゲーム」とはいかないけど……)。

 

目的を達成できるかわからなくて不安でも、進んでいくしかない。目的を達成したいなら。

諦めなければ夢が叶うわけではないけど、諦めなければ、夢が叶う「可能性がある」。

もしも、寿命が無限だったら、そして、準備の方向が間違っていなければ、いつかは夢が叶うはず。

 

「過程がある」ということを、受け入れて生きていくしかない。

「過程」がある限り、願ったゴール地点にワープすることはできない。

苦しみながら、たまには喜びながら、道のりを歩んでいくしかない。苦しいけど、これが我々の生きている世界だ。

 

私は、どちらかというと失敗の経験の方が多いから、何をやるにしても恐怖と不安を感じる。成功体験が多い人ならば、こういう感覚にはならないのかもしれない。

がっかりしたくない、という気持ちばかりが強くなり、手っ取り早く成功が欲しくなる。もしくは、「失敗せずに済んだ」という安心が。

後者を手にするのはとても簡単だ。挑戦しなければいいのだ。そうすれば、失敗はない。

 

だけど、もしも成功したいと願うなら、「過程」を歩んでいくしか方法がないわけだから、挑戦しないことそのものが「失敗」ということになる。

挑戦しないとき、私は、失敗しているのだ。

 

どんなことにも、途中がある。

物事を始めて、最初の一歩を踏み出し、道中を歩んでいく。これしかない。

この事実を、受け入れよ。

何度も失敗して、正しい準備ができるようになることが、成功には必要なのだと、学ぶべきだ。心から。

 

 

私は怖がりで、最近、以前にも増して弱いなあと感じることが多かったので、朝からこのような考え事をしていました。

当たり前のことを、自分にわかってもらわなければ。

わかれ!自分!

 

おわり

 

よしなしごと(何度目かの)

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みなさまこんにちは。おはようございます。こんばんは。

お久しぶりです、はむです。

 

またよしなしごとを書こうと思います。

 

少し前のブログで、一日の始まりに「茶色い液体」ことインスタントコーヒーを作っている、と書きましたが、なんとなんとすごいですよ。

今では、一日の始まりにチャイティーを作るようになってしまいました。進歩がすごい。

 

チャイティー用にミルクパンも買ってしまった。

食べ物じゃないですよ。小さいお鍋のことです。

 

ただ、朝にカフェインを摂ることになるので、もうそこから先はほとんどカフェインを摂ることができません。

紅茶2杯以上はやっぱり吐き気が出てしまうので……。えーん、もっとカフェインを摂りたいよう。

 

カフェインが摂れないなら、スパイスを摂ればいいじゃない!

ということで、カルダモンとかシナモンとかナツメグとか入れまくったクッキーを焼くのにもハマっていたのですが、見事に太りました。

スパイスの力でなんとかならんのかと僅かな希望を抱いてはいたのですが、そういえば上記のスパイスの効能をよく知りません。

それよりも、毎回大量に消費される小麦粉のパワーが圧倒的なんでしょうね。気づかないふりをしていたけど、確実に脂肪になってる。もうやめよう、こんなことは。

 

やめよう。

……ということで、昨日購入したのが、カカオ78%のあの苦いチョコレート。

これ、体にいいって聞くし、小麦粉が入っていない分太りにくいのでは!?

 

「おやつを食べない」って発想にならないところが、我ながらでぶりんやな〜〜と思います。

 

私の母はわりかし「巨体」なので、同じ血が流れる私も気をつけないと身体がデラックスになってしまうに違いないと危機感を抱いております。

その危機感のおかげで、なんとか、なんとか、服のサイズをMに留められていると思われるのですが、ここが正念場。

 

カカオ78%チョコレートを食べて物足りなかったら、もう86%チョコレートに格上げして反省しよう(?)。

私、美味しく食べられる限界が78%なんですよね。86%までいくともう、ほんまごめんやけど、あのーそのー、ゴミの味に感じてしまうんだよな。

 

ゴミフレーバーを味わいながら、反省したい。

すみません、企業努力で美味しくしてくれてるのに、ゴミなんて言って。

味に、価値がないと言っているわけではなく、スラングとして「ゴミ」と言っているわけではなく、単純に、ゴミ箱の中を味わったらこうかな?と感じる、という話をしているのであって、あっ、いや、もう何も語らない方が良さそうだな、やめておこう、やめておこう……。とにかくすみませんでした。

 

話は変わって、本について。

他人を搾取するTAKER(テイカー)と、他人に施すGIVER(ギバー)、やってもらったらお返しをするMATCHER(マッチャー)のお話ってあるじゃないですか。ここからはめんどくさいからカタカナで書きますね。

それについての本を、読みたいと思ったんですよ。

最近は、読みたいと思ったらまず図書館に本があるかどうか検索するようにしています。

そしたらなんと!

 

27人待ち

 

の本でした。テイカーギバーマッチャーの、読みたかった本。

読みたい人多すぎ〜!

 

GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代 (単行本)

まあ、予約したんですけど。28人目として。(買え!)

 

本を読んでいない段階では、私は自分のことを、マッチャーか、自己犠牲型ギバーなんじゃないかと思っておりまして……。

「人からよく思われたい」という意識が強すぎて、お願いを断れないし、自分の締め切りがあるのに新しく仕事を引き受けてしまって大変なことになったりしてしまいます。

本当は、本当に素晴らしい人っていうのは、ちゃんと締め切り内に仕事を終えられる人なのだろうし、そのためには他者からのお願いを断れるべきなんだと思う。

まずは、自分の仕事をやり遂げないといけないのだから。

 

さて、そんなわけで、本が読めるのを楽しみにしているわけですが、私は現在、『三体 球状閃電』(早川書房)と『内向型人間の時代』(講談社)を読んでおりまして、どちらもそこそこ厚い本なので、むしろ27人待ちの本を予約できてよかったなーなんて思っているのであります。

本読むの苦手なのでね……。めっちゃ時間かかる。

 

最近読んで、ダントツで感動したのは、『すてきな三にんぐみ』(偕成社)です。

すてきな三にんぐみ

 

子どもたちから見れば、どんな人が「素敵」なのか。あと、泥棒3人組のピュアさ。旅先のカフェに置いてあるのを読んで、ボロボロ泣いてしまいました。情緒不安定。

 

もしよかったら、おすすめの本を教えてもらえると嬉しいです。

一生のどこかで、きっと読むと思います。

 

 

 

催眠療法やってみた

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あけましておめでとうございます。

……と、一応言ってみる。

 

写真は、割と最近に行った赤坂離宮庭園の噴水です。フォトライブラリの中では一番おめでたい写真でしたので……。

 

ぼんやりとした不安に襲われて、布団の中からこのブログを書いています。それで、写真はスマホの中から選びました。

 

私はもともと怠け者で、ぐうたらしている人間ではあるのですが、去年からちょっと臓器と甲状腺ホルモンを悪くしておりまして、その症状の一つに「身体の怠さ」っていうのがあるんですね。

なので、この、身体が重くて動かない感じが、いつもの怠け癖なのか、はたまた症状なのか。

そもそも、元来の怠け癖は性格ではなく、こういった症状のせいだったのか??

甲状腺ホルモンはもっとずっと前から悪かった可能性あり)

 

あと、不安感があるから、うつ症状が出そうになってる感もあるし……。

 

やっぱり、正月早々に階段から落ちて大怪我してるのもよくない。

なんかね、久しぶりにズドドドドって転落しました。ゴミを出そうと思って、マンションの非常階段を降りていたら、足が持ち上がらなくて、スネで階段をサーフィンするみたいにずり落ちて、最後はゴロゴロと身体が転がって、しこたま全身を打ちつけてしまいました(詳細な説明)。

そのあとは風邪気味にもなりました。とほほすぎる〜……。

 

なにはともあれ、身体のエンジンがかからない1月を過ごしております。なんにもやりたくない。

 

カウンセリングの話をします。

 

去年、最後にやってもらったのが「催眠療法」でした。ヒプノシスというやつです。

 

もっと、「催眠にかかってる〜ッ」って感じがするのかと思いましたが、私の場合はそんなでもなかったです。

でも、普通にただ会話をするだけだったら絶対思い出さなかっただろうなってことを思い出せて、感激しました。

 

以下、こんなことしたよってのを書いてみます。

カウンセラーさんの言葉は、『 』に入れることにしますね。

 

 

***

カウンセラーさんがやってくれたのは、私の心の中に、「安心できる場所」を作るという作業でした。

催眠に入るために、『イメージの中で、階段を降りていってください』と言われるのですが、私のイメージでは下の層からどんどん水が充満してきてしまい、階段を降りることが困難でした。靴の底に重たい石をくくりつけるイメージをして、無理やり降りました。

 

ひとつめのフロアでは、身体を守るベールに包まれて、絶対無敵状態になるイメージをしました。「絶対に安心だ」と思うことの難しさ。

本当に難しかったのですが、自分を騙し騙し、イメージできたことにして、次のフロアへ。

 

階段を降り、フロアにたどり着きます。

『ここは、あなたにとって安心できる部屋です。どんな場所ですか?』

 

イメージでは……。

 

ドアがない、四角い部屋。

小さな窓があり、カーテンがあり、外を覗こうと思えば覗ける。

中に入って思いっきり泣くことのできる、布団が用意されている。

電気はなく、窓からの光しか入ってこない。薄暗い。

 

なぜ、安心なのかというと、ドアがないから。

泣いていても、突然誰かが入ってくることがないから。

 

『この部屋に、安心できる存在が入ってきます。どんな人ですか?』

 

しかし、私は、安心できる存在をイメージすることができず……。

「イメージできません」

 

『人間でなくてもいいんですよ』

 

どんな存在だったらこの部屋に居てもらってもいいかなと思うと、化け物みたいな見た目がイメージできました。

 

植物と爬虫類が混ざったような見た目。

牙がたくさんあって、声が出せる口があるけど、多分おしゃべりはできない。

目がない。顔がない。

多肉植物の表面のように、サラサラすべすべとした触り心地の巨大な生き物。

 

『この生き物に名前をつけてみましょう』

身体の色がピンクとクリームのマーブル模様だったので、マーブルと名付けることに。

 

会話ができず、目がないので、表情を気にせず側にいることができる。

安心する。

 

『マーブルはあなたに贈り物をしてくれるようです。何をもらいましたか?』

マーブルは……。

 

背中に生えている植物の葉っぱのようなものを千切って渡してくれた。

マーブルの身体の色でかわいいし、すべすべしてあったかい。手のひらサイズなので、いつでも取り出して撫でることができる。

 

この部屋を出て、次のフロアへ。

 

『階段を降りると、あなたの小さい頃へ一気にジャンプします』と言われ、あ〜うまく飛べる気がしないよ〜、と不安だったのですが、無理くりジャンプに成功。

 

5歳か4歳くらい。

当時着ていた服を着ている。

ソファのある部屋の中央で、ひとり、床にうずくまって泣いている。

 

『どうして泣くことになったのか、教えてもらえますか?』

 

わからない。

 

どうして泣いているのか、わからない。

 

「わかり…ません……」と答える。

この頃になると、催眠がちょっとかかっているのか、思うようにしゃべることができませんでした。

 

少し考えて、思い出せそうにない当時のことを「わかる?」って自分に聞いてみる。

口から出てきたのは、「つまらない……」という一言。

 

そして、こんな感じで自分がぼーっとしゃべりだした。

 

「つまら……ない。やることが……ないから……泣いている。」

「泣くと……気持ちが興奮して……訳がわからなくなって……呼吸が乱れて……」

「しばらくすると、落ち着いてくる……。その、落ち着くときに……安心した感じがするから……」

「感情が昂って、落ち着いて、安心する、その流れが、私にとって、暇つぶし……娯楽……」

 

 

そうだ……。

 

そうだった……。

 

遊び相手はいない……。

 

一人で遊べるおもちゃもない……。

 

なんだか寂しい気持ちになったとき、その気持ちを集めて、盛り上げて、涙を流し始めると、いずれ大泣きすることができた。

 

大泣きできれば、息が乱れて苦しくなってぼーっとできた。涙でびちょびちょだし、変化が面白い。

その後には気持ちも呼吸も落ち着くフェーズに入り、じんわりと温かい気持ちになれた。胸の内側からオレンジ色で満たされる感じというか、安心感を得ることができた。

 

『泣いているとき、周りに誰かいますか?』

 

誰も……いません。

家には……一人です。

 

『それは、あなたが寂しさを紛らわせるための発明だったんですね。では、別の時間へ行ってみましょう』

 

『別の世界線でも、どこへでも行けます。あなたは幸せでいっぱいです。どこにいますか?』

 

テーブルとテレビのある部屋。

お皿がたくさん。料理が人数分。

おばあちゃんと、父親と、母親、弟、私、全員いる。

みんな笑顔。

同じテーブルで食べられて、みんながいて、自分が、「家族の一員」だと思えて、嬉しい。

 

『おばあちゃんでも、お父さんでもお母さんでも、話しかけてみましょう。なんて言っていますか?』

 

話しかけても、なかったことにされる。

無視というか、返事は返ってきません。

(笑っているみんなの会話がイメージできないから?)

 

『そう……。でも、みんなでご飯が食べられて、嬉しいね。』

 

***

 

ちょっと端折っていますが、こんな感じのことをイメージの中で体験して、帰ってきました。

心の中の考え事と、報告とが一緒くたになってしまって、かなり読みにくい文章になってしまいました。すみません。

 

私としては、小さい頃の不安と不満を思い出すことができて、なんだか安心しました。

つまり、私には心の拠点となる場所、大人が(身近には)いなかったのです。

父方の祖母(今回出てきたおばあちゃん)は、私の面倒を見てくれたけど、生きるためのお世話であって、泣いているときに側にいてくれるとか、慰めてくれることはなかったように思います。

両親は仕事でいないし、祖母は家事の時以外は習い事に行ってしまうか、自分の部屋にいて、私はリビングに一人でした。

夜の8時前には寝かされていたので、父にはまず会わないし、スーツ姿の母に一目会えたらいい方でした。

 

家族みんなで夕食を食べた記憶は、2回ほど。

そのどちらも、母が不機嫌になり、父も不機嫌になり、嫌な思い出です。

そのうち1回の、両親が不機嫌になった原因は、私がテレビの下品なバラエティ番組で笑ってしまったことでした。

母が叫ぶように怒り、それを見た父が「いいじゃねえかよ!」と怒り。

 

父は、私を庇うために祖母や母を怒る人でした。叱るというか、全力で怒鳴りつける感じ。

すごく、それが嫌だった。

 

みんなで、仲良く食事ができた記憶なんかない。いつも誰かが怒っていた。

 

人が怒る声は怖い。

嫌だ……。

 

両親といたいけど、2人一緒だと喧嘩するから、いたくない。

仕事で忙しいのを知っているし、怒らせたくないから、もっと遊んでほしいって言えない。

遊んでもらっても、いつ不機嫌になるかわからないから怖い。

 

 

子どもにとって、家族のことを思い出そうとした時、大人が不機嫌そうにしている映像ばかり出てくるのは不幸なことだと思います。

 

私は、大人が不機嫌な理由を、自分に求めすぎていたようにも思います。

私が、怒らせているんだと。

 

だから、催眠療法でも、笑顔の家族と会話することができなかったんじゃないか(無視された)。

 

次のカウンセリングでは普通の心理カウンセリングをしてもらいます。

最終的には、催眠療法で、現在の自分と過去の自分が会話するところまでいけるといい感じらしいです。

 

どうでしょうか、カウンセリングを受けている他人の話って割と面白いんじゃないかな〜と思って書いていますが……面白いですか?

 

ではまた。

 

 

急いで書く!

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みなさまこんばんは!

あと2時間で今年が終わろうとしています!

焦りながらブログを書いております!

お鍋を煮込んでいる合間に書いております!

 

どうしても、「12月」のブログを書きたかったのであります……!

 

2022年は、あんなに気をつけていたのに、結局新型コロナウィルスに感染してしまった年でした。実は。

後遺症なのかどうか不明ですが、感染後、甲状腺ホルモンと肝臓に異常が見つかり、病院三昧の日々を送りました。

それとは別に婦人科で手術が必要となり、今年かかった医療費はとんでもない金額になってしまいました。高額療養費制度を使ってもなお。

 

大人になってから双極性障害Ⅱ型であることが発覚した私は、医療保険に未加入の状態です。入りたくても、保険会社から断られてしまうのです。

それが、こんなにあちこち身体が悪くなってしまうと、「あーやっぱりピチピチに健康な学生時代から終身医療保険に入っておくんだった〜〜」と、思いました。まあ、こういうのは子どもがどうこうできるものではないけど。

 

そんなわけで、もし今医療保険の勧誘を受けている人や、加入しようかな〜と関心を持っている人はぜひ、入れるうちに入っておくことをお勧めします。

 

それでもなんとか生きながらえた2022年。

私は、人生なんて、いつの間にか空き箱になるティッシュペーパーみたいなもの(でありたい)と思っているので、あんまり気負わず、やりたいことができなかったからといって悲しまず、呼吸をして、寝て、生きていけたらいいなと思います。

 

むっ、鍋ができそうな予感。

 

それではみなさま、心は自由に、健康で過ごせますよう!

 

カウンセリングに行ってきた! その2

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みなさまこんばんは。こんにちは。

 

先日、2回目のカウンセリングに行ってきました。

今回は、カウンセラーさんとただ会話をするだけの時間でしたが、また新しい発見があって面白かったです。

 

そのお話をする前に。

前回のカウンセリングを受けてから今回までの3週間で、結構変化を感じました。

まず、わたしは幼少期の出来事をいくつか覚えているのですが、「なぜ、その出来事を記憶していたのか」、その理由がわかりました。なんというか、「その思い出」の「意味がわかった」、という感覚です。

そして、既に亡くなっている母方の祖父が、わたしに熱心に愛情を注いでいてくれたことを、ハッキリと認識しました。

最後に、31歳にもなって、母親に反抗心(?)が芽生えてきました。今まで、母から言われたことで傷ついても、「ああ、悲しいな」とぼんやり感じるだけだったのが、「それって失礼じゃない?」と、謝ってもらいたい気持ちが出てくるようになりました。

 

わたしは、自分を守る内なる声が小さいのだな……と気が付きました。これからどんどん反抗心が出てきて、母と険悪な雰囲気になったらどうしよう。

 

 

さて、

みなさんの、いちばん古い記憶ってなんでしょうか。

子どもの頃の思い出。なんで、覚えているのか。

 

わたしは今まで深くそのことを考えずに、何度も何度も思い出を思い出して暮らしてきました。

単純に、ショックな出来事だったから覚えているのかな、とか、ぼんやり悲しい気持ちだったから覚えているのかな、と思っていたのですが、わたしの場合は、「幼少期の自分が言いたかったこと」を保存するために覚えていたようなのです。

 

2才とか3才とか、あんまり思考がはっきりしていない頃の自分が言いたかったこと。考え事として記憶することができないので、メッセージを含められる出来事を記憶していた……ということなのかなと。

 

2回目のカウンセリング中にも、「あっ、そういうことだったのか!」と腑に落ちたことがありました。

 

まず、わたしが2才の時に父方の祖父が糖尿病で亡くなりました。

お葬式にはたくさんの大人たちがやってきて(自宅で葬儀だった)、みんな泣いていました。

かわいそうだな、と思って、チップスターのりしお味を一枚ずつ配ったのですが、誰も食べませんでした。

父方の祖父は、顔だけが見えるよう穴の開けられた箱の中に横たわり、参列者がお花で飾り付けをしてあげます。

顔のまわりがお花だらけになって、わたしは、「これはいいことだ」と思いました。

 

祖父のお葬式の後すぐに、弟が産まれます。

それから、わたしは、自分のお葬式のことをよく考えるようになります。

「死」とは、死後の国に行くことだと教えられました。

死後の国にも興味があったし、なにより、自分が死んだとき、お葬式でみんな泣くのだろうかと、期待がありました。

 

で、その思い出から3年後。

わたしは「嘘の家出」をしました。小学1年生になったばかりのときです。

まず弟に、「わたしは家出をする」と伝え、自分の靴を靴箱の奥に隠しました。靴を履いて外に行ったと思わせる工作ですね。

その後、急いで2階に上がり、両親の布団の中に隠れました。

 

掛け布団をめくればすぐに見つかるのだから、そんなに大ごとにならないだろう、と思っていたはずなのですが、予想外に大騒ぎになってしまいます。

布団の中で、耳をすませ、1階の騒ぎを聞きます。

弟が祖母に、「お姉ちゃんがいなくなった」と伝え、泣いている。

祖母がわたしを探す。祖母がクラスメイトの家に電話をかける。わたしはいつの間にか寝てしまう。

夕方になる。母親が慌てた様子で帰ってくる……。

 

そこで、わたしはノコノコと階段を降り、「寝てた〜」みたいなことを言いながら、家族の前に姿を現します。

ほんとは、「大ごとになっちゃったな……どうしよう……」と思い、なかなか登場できなかった部分が大きいのですが、怒られたくなくて、うっかり感を醸すよう努力しました。

母親は、「もう二度とこんなことはしないで。」と言って、わたしを抱き寄せてくれました。

怒られませんでした。

 

 

どうして、家出をしようと思ったのか?

考えたことがありませんでした。

カウンセリング中に突然わかったのは、これは、つまり、わたしにとって、「お葬式」だった、ということです。

 

自分がいなくなったときの、みんなの反応が知りたかった。

 

布団の中で耳をすませて、1階の様子をうかがっている間は、本当に幽霊になったような気持ちでした。

祖母は慌てていたし、弟は泣いていた。

最後に母は抱き寄せてくれた。

 

自分は、大事に思われているな……と、多少安心できたと思います。

 

いま思うと、そんなに小さい子が、自分のいなくなった世界のことを熱心に考えているなんて恐ろしいなと思うのですが、子どもって大人が思うよりずっと色んなことを感じているのでしょう。

 

わたしにとって、「死」とは、自分が大切に思われているかを確認できる憧れの状況だったのです。

興味本位の、死への憧れ。

その後、小学校中学年以降は、学校での人間関係も複雑になり、「何も感じない状態になりたい」……と、脱出方法として死を望むようになりました。

 

わたしにとって、「死」は、ずっと光だったのです。

 

「死ななかったのは何故ですか」とカウンセラーさんに聞かれました。

それは、人に迷惑をかけずに死ぬことはできないから、です。

どうやったって、誰かはわたしの死体に触ることになる。家族も、きっと悲しむ。誰にも迷惑をかけたくない。だから、死ねない。

 

「思いやりの気持ちで、踏みとどまったのですね。」と言われ、不思議な気持ちになりました。

過去の自分像が、少し、黄色、桃色がかった光に包まれるような感覚。「思いやりがあったんだね」と、肯定しても、いいのかもしれない……。

 

いつも思い出していた記憶から、過去の自分が言いたかったことが伝わってくる現象に、わたしは驚き、興奮しています。

読みにくい文章だったかもしれません。すみません……。

 

またブログを書きます。

おわり

 

 

カウンセリングに行ってきた!

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みなさまこんばんは。

人生の課題を解決するべく、人生初カウンセリングに行ってきました。

なんのカウンセリングかというと、いわゆる、普通の(?)、こころのカウンセリングです。

 

わたしは昔から、睡眠中にかなり具体的な夢を見ることが多く、その夢を分析できたらいいなと思ってすこ〜しだけユング心理学を勉強してみたのです。初心者向けの本を読んだだけですが……。

それで、人間には「意識」と「無意識」があり、この無意識の声を無視し続けると色々と問題が起こることが(あると)わかりました。

 

もしかしてわたしって、ものごころついた頃から、この「問題」が発生しているのでは……? と、ふと思いついたのです。

身体の内側から、どうしようもないイライラや衝動が沸いてきて、自分を殴ることで解決していた子供時代。

いつまでもやめられない皮膚むしり症。

 

特に、この「皮膚むしり症」をやめたくて、一体いつからやるようになってしまったんだろう? と思い返してみました。

保育所に向かう車の中で、父方の祖母に「やめなさい!」と注意をされたのが嬉しくて、その後もずっとむしるようになってしまったんだったような……。

いや、厳密には、注意されたのが「嬉しかったから」皮膚をむしるようになったのかは覚えていない。

ただ、注意されたことが嬉しかったことと、その後もずーっとむしるようになってしまったという事実だけはある、って感じ。

 

わたしが小学校中学年の頃に両親は離婚し、それまで育ててくれた父方の祖母とも離れ、母と弟と3人暮らしするようになった頃、母にポロリと言われたことがある。

「あんたはかわいそうだった。おばあちゃんが●●(弟)ばかり贔屓していたから。」と。

 

あんまり、あからさまに弟が贔屓されていたような記憶はない。

ただ、それも、悲しかったときの記憶をなくしてしまっているか、わざと思い出さないようにしているのかもしれない。

 

もうひとつ覚えているのは、当時住んでいた家には庭があって、弟が生まれたことを記念して植えられた木があったこと。

わたしの木は無かった。

おばあちゃんに、どうして自分の木は無いのか聞いてみたけど、「あんたは女の子だからいらない」と言われたのだった。

だけど、庭に出るたびに弟の木が立派に見えて、どうしても自分の木が欲しかった。

だから、大人たちにお願いしたのだと思う、あとから「わたし用の木」ということで、楓が植えられた。

 

わたしの方が弟より先に生まれていたのに、わたしの木の方が小さくて、細くて(そもそも弟の木とは種類が違っていた)、せっかく自分の木が植えられたのを見ても、なんだか悲しかった。あまり、そのことは考えないようにした。

 

……という思い出。

 

そのほかは、わたしは基本的に絵を描いて遊んでいることが多くて、とにかくたくさんの落書きを量産している幼少期だった。

 

わたしが覚えていることはこのくらいだけど、逆に、このくらいしか覚えていないってことは、その空白の部分に何かキモがあるのでは……。

 

……ということでやってまいりました、初カウンセリング。

 

結論からいうと、行ってよかった。

次の予約もしてしまった。

 

わたしは自分の無意識の声を聞きたかったから、催眠療法もできるカウンセラーさんにお願いしました。でも、初回なのでまずは普通にお話を聞いてもらうことに。

 

後半、カウンセラーさんから「小さかった頃の自分に質問をしてみて」と言われる場面があったのですが、少しだけ、無意識(潜在意識)の声が聞こえたような??

まず、小さかったころのわたしをイメージして呼び出すところから。

イメージの中のわたしは、かなり小さくて、3才とか4才くらい。赤いスカートを履いて、髪はふたつに結んで、地べたに座り込んでいる。

たぶん、石とか枝を使って絵を描いている。人の顔の絵を描いている。

 

その自分に、「何が欲しい?」と聞いてみる。

 

昔の自分に質問をする、っていうのが難しくて。

少し恥ずかしいし。自分に自分で語りかけるっていうのが。

 

でも、思考が回答する前に、内側から込み上げてきたのは、「一緒に遊んでほしい」という答えでした。

 

そして、驚いたことに、絵をたくさん描いていたのは、それが「ひとりでできる遊びだから」だと、「わかった」のです。

わたしはずっと、子供の頃に絵を描いていのは「絵が好きだから」だと思っていました。

周りの人にもそう思われていたと思うし、自分でもそう思っていた。今まで、まったく考えたことのない答え。

絵を描いていたのは、ひとりで遊ぶしかないから。

 

えっ?!

そうだったの?!(ギャグにあらず)

 

結構びっくりしました。

今でも、半信半疑です。ストーリーがうまく繋がるように、大人のわたしの理性が考えたことなんじゃないかと。

でも、そうやって疑われていたら、我が潜在意識さんも、なんの話もしたくなくなると思うので、いったんはそういうことにしておきます。

 

あとは、「困っていることは?」という質問には、「保育所で、男の子からスカートめくりをされるのが嫌だ。」と回答。

「ほかに欲しいものは?」と聞かれて、「もっといい紙が欲しい。画用紙とか。」と回答。チラシの裏にばっかり絵を描いていたもんね。

 

約80分のカウンセリングだったのですが、なんだかめちゃくちゃに泣いてしまいました。

涙が溢れて、自分でもなんだかわかりません。この涙も、わたしは疑ってしまうのですが、そういうところも自己肯定感的によくないんだろうな。

(自分が泣いていると、「かわいそうな存在になって許されたいと思っているんだろう」と考えてしまう)

 

わたしが、ひとり遊びに「お絵かき」を選んだのは、共働きで普段遊んでもらえない両親に、見せることができるからだともわかりました。

日中にお絵かきした作品は、紙として残り、きっと夜に両親に見てもらえているはずだから。

 

だけど、両親は忙しいなりに、できる範囲で時間を割いてくれていたはずなのに、小さい頃の自分は「一緒に遊んでほしい」と思っていたなんて驚きです。

「寂しい」と、思っていたのだろうか?

わたしには、そういう記憶がありません。

「一緒に遊んでほしい」と、願った記憶も、お願いした記憶もない。

 

でも、カウンセラーさんの、「ご両親は頑張っていたかもしれないけど、それでも足りなかったんじゃないですか?」というシンプルなお言葉に、そうか、そういう考え方をしてもいいのか……、と目から鱗と涙が落ちました。

 

「親はできる限りやってくれている」というのは、大人のわたしが頭で理解していることであって、小さい頃のわたしの希望は、まず、お絵かきをしているそばにいてほしかったし、できあがったものを褒めてほしかったのかも……。

 

 

自分ひとりで考えていたら、絶対に出てこなかった「自分の考え」が出てきて、本当にびっくりしました。

 

普段生活している中でも、「小さい頃のわたし」に話しかけてみて、と宿題をいただいたので、やってみたいと思います。

 

 

また、面白い体験をしたな〜と思ったらブログを書きますね。おわり。