あけましておめでとうございます。
……と、一応言ってみる。
写真は、割と最近に行った赤坂離宮庭園の噴水です。フォトライブラリの中では一番おめでたい写真でしたので……。
ぼんやりとした不安に襲われて、布団の中からこのブログを書いています。それで、写真はスマホの中から選びました。
私はもともと怠け者で、ぐうたらしている人間ではあるのですが、去年からちょっと臓器と甲状腺ホルモンを悪くしておりまして、その症状の一つに「身体の怠さ」っていうのがあるんですね。
なので、この、身体が重くて動かない感じが、いつもの怠け癖なのか、はたまた症状なのか。
そもそも、元来の怠け癖は性格ではなく、こういった症状のせいだったのか??
(甲状腺ホルモンはもっとずっと前から悪かった可能性あり)
あと、不安感があるから、うつ症状が出そうになってる感もあるし……。
やっぱり、正月早々に階段から落ちて大怪我してるのもよくない。
なんかね、久しぶりにズドドドドって転落しました。ゴミを出そうと思って、マンションの非常階段を降りていたら、足が持ち上がらなくて、スネで階段をサーフィンするみたいにずり落ちて、最後はゴロゴロと身体が転がって、しこたま全身を打ちつけてしまいました(詳細な説明)。
そのあとは風邪気味にもなりました。とほほすぎる〜……。
なにはともあれ、身体のエンジンがかからない1月を過ごしております。なんにもやりたくない。
カウンセリングの話をします。
去年、最後にやってもらったのが「催眠療法」でした。ヒプノシスというやつです。
もっと、「催眠にかかってる〜ッ」って感じがするのかと思いましたが、私の場合はそんなでもなかったです。
でも、普通にただ会話をするだけだったら絶対思い出さなかっただろうなってことを思い出せて、感激しました。
以下、こんなことしたよってのを書いてみます。
カウンセラーさんの言葉は、『 』に入れることにしますね。
***
カウンセラーさんがやってくれたのは、私の心の中に、「安心できる場所」を作るという作業でした。
催眠に入るために、『イメージの中で、階段を降りていってください』と言われるのですが、私のイメージでは下の層からどんどん水が充満してきてしまい、階段を降りることが困難でした。靴の底に重たい石をくくりつけるイメージをして、無理やり降りました。
ひとつめのフロアでは、身体を守るベールに包まれて、絶対無敵状態になるイメージをしました。「絶対に安心だ」と思うことの難しさ。
本当に難しかったのですが、自分を騙し騙し、イメージできたことにして、次のフロアへ。
階段を降り、フロアにたどり着きます。
『ここは、あなたにとって安心できる部屋です。どんな場所ですか?』
イメージでは……。
ドアがない、四角い部屋。
小さな窓があり、カーテンがあり、外を覗こうと思えば覗ける。
中に入って思いっきり泣くことのできる、布団が用意されている。
電気はなく、窓からの光しか入ってこない。薄暗い。
なぜ、安心なのかというと、ドアがないから。
泣いていても、突然誰かが入ってくることがないから。
『この部屋に、安心できる存在が入ってきます。どんな人ですか?』
しかし、私は、安心できる存在をイメージすることができず……。
「イメージできません」
『人間でなくてもいいんですよ』
どんな存在だったらこの部屋に居てもらってもいいかなと思うと、化け物みたいな見た目がイメージできました。
植物と爬虫類が混ざったような見た目。
牙がたくさんあって、声が出せる口があるけど、多分おしゃべりはできない。
目がない。顔がない。
多肉植物の表面のように、サラサラすべすべとした触り心地の巨大な生き物。
『この生き物に名前をつけてみましょう』
身体の色がピンクとクリームのマーブル模様だったので、マーブルと名付けることに。
会話ができず、目がないので、表情を気にせず側にいることができる。
安心する。
『マーブルはあなたに贈り物をしてくれるようです。何をもらいましたか?』
マーブルは……。
背中に生えている植物の葉っぱのようなものを千切って渡してくれた。
マーブルの身体の色でかわいいし、すべすべしてあったかい。手のひらサイズなので、いつでも取り出して撫でることができる。
この部屋を出て、次のフロアへ。
『階段を降りると、あなたの小さい頃へ一気にジャンプします』と言われ、あ〜うまく飛べる気がしないよ〜、と不安だったのですが、無理くりジャンプに成功。
5歳か4歳くらい。
当時着ていた服を着ている。
ソファのある部屋の中央で、ひとり、床にうずくまって泣いている。
『どうして泣くことになったのか、教えてもらえますか?』
わからない。
どうして泣いているのか、わからない。
「わかり…ません……」と答える。
この頃になると、催眠がちょっとかかっているのか、思うようにしゃべることができませんでした。
少し考えて、思い出せそうにない当時のことを「わかる?」って自分に聞いてみる。
口から出てきたのは、「つまらない……」という一言。
そして、こんな感じで自分がぼーっとしゃべりだした。
「つまら……ない。やることが……ないから……泣いている。」
「泣くと……気持ちが興奮して……訳がわからなくなって……呼吸が乱れて……」
「しばらくすると、落ち着いてくる……。その、落ち着くときに……安心した感じがするから……」
「感情が昂って、落ち着いて、安心する、その流れが、私にとって、暇つぶし……娯楽……」
そうだ……。
そうだった……。
遊び相手はいない……。
一人で遊べるおもちゃもない……。
なんだか寂しい気持ちになったとき、その気持ちを集めて、盛り上げて、涙を流し始めると、いずれ大泣きすることができた。
大泣きできれば、息が乱れて苦しくなってぼーっとできた。涙でびちょびちょだし、変化が面白い。
その後には気持ちも呼吸も落ち着くフェーズに入り、じんわりと温かい気持ちになれた。胸の内側からオレンジ色で満たされる感じというか、安心感を得ることができた。
『泣いているとき、周りに誰かいますか?』
誰も……いません。
家には……一人です。
『それは、あなたが寂しさを紛らわせるための発明だったんですね。では、別の時間へ行ってみましょう』
『別の世界線でも、どこへでも行けます。あなたは幸せでいっぱいです。どこにいますか?』
テーブルとテレビのある部屋。
お皿がたくさん。料理が人数分。
おばあちゃんと、父親と、母親、弟、私、全員いる。
みんな笑顔。
同じテーブルで食べられて、みんながいて、自分が、「家族の一員」だと思えて、嬉しい。
『おばあちゃんでも、お父さんでもお母さんでも、話しかけてみましょう。なんて言っていますか?』
話しかけても、なかったことにされる。
無視というか、返事は返ってきません。
(笑っているみんなの会話がイメージできないから?)
『そう……。でも、みんなでご飯が食べられて、嬉しいね。』
***
ちょっと端折っていますが、こんな感じのことをイメージの中で体験して、帰ってきました。
心の中の考え事と、報告とが一緒くたになってしまって、かなり読みにくい文章になってしまいました。すみません。
私としては、小さい頃の不安と不満を思い出すことができて、なんだか安心しました。
つまり、私には心の拠点となる場所、大人が(身近には)いなかったのです。
父方の祖母(今回出てきたおばあちゃん)は、私の面倒を見てくれたけど、生きるためのお世話であって、泣いているときに側にいてくれるとか、慰めてくれることはなかったように思います。
両親は仕事でいないし、祖母は家事の時以外は習い事に行ってしまうか、自分の部屋にいて、私はリビングに一人でした。
夜の8時前には寝かされていたので、父にはまず会わないし、スーツ姿の母に一目会えたらいい方でした。
家族みんなで夕食を食べた記憶は、2回ほど。
そのどちらも、母が不機嫌になり、父も不機嫌になり、嫌な思い出です。
そのうち1回の、両親が不機嫌になった原因は、私がテレビの下品なバラエティ番組で笑ってしまったことでした。
母が叫ぶように怒り、それを見た父が「いいじゃねえかよ!」と怒り。
父は、私を庇うために祖母や母を怒る人でした。叱るというか、全力で怒鳴りつける感じ。
すごく、それが嫌だった。
みんなで、仲良く食事ができた記憶なんかない。いつも誰かが怒っていた。
人が怒る声は怖い。
嫌だ……。
両親といたいけど、2人一緒だと喧嘩するから、いたくない。
仕事で忙しいのを知っているし、怒らせたくないから、もっと遊んでほしいって言えない。
遊んでもらっても、いつ不機嫌になるかわからないから怖い。
子どもにとって、家族のことを思い出そうとした時、大人が不機嫌そうにしている映像ばかり出てくるのは不幸なことだと思います。
私は、大人が不機嫌な理由を、自分に求めすぎていたようにも思います。
私が、怒らせているんだと。
だから、催眠療法でも、笑顔の家族と会話することができなかったんじゃないか(無視された)。
次のカウンセリングでは普通の心理カウンセリングをしてもらいます。
最終的には、催眠療法で、現在の自分と過去の自分が会話するところまでいけるといい感じらしいです。
どうでしょうか、カウンセリングを受けている他人の話って割と面白いんじゃないかな〜と思って書いていますが……面白いですか?
ではまた。