炭酸が抜けるまでの日記

アラサーパート主婦のどうでも日記です。最終目標は安らかに暮らすことです。

カウンセリングに行ってきた! その2

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みなさまこんばんは。こんにちは。

 

先日、2回目のカウンセリングに行ってきました。

今回は、カウンセラーさんとただ会話をするだけの時間でしたが、また新しい発見があって面白かったです。

 

そのお話をする前に。

前回のカウンセリングを受けてから今回までの3週間で、結構変化を感じました。

まず、わたしは幼少期の出来事をいくつか覚えているのですが、「なぜ、その出来事を記憶していたのか」、その理由がわかりました。なんというか、「その思い出」の「意味がわかった」、という感覚です。

そして、既に亡くなっている母方の祖父が、わたしに熱心に愛情を注いでいてくれたことを、ハッキリと認識しました。

最後に、31歳にもなって、母親に反抗心(?)が芽生えてきました。今まで、母から言われたことで傷ついても、「ああ、悲しいな」とぼんやり感じるだけだったのが、「それって失礼じゃない?」と、謝ってもらいたい気持ちが出てくるようになりました。

 

わたしは、自分を守る内なる声が小さいのだな……と気が付きました。これからどんどん反抗心が出てきて、母と険悪な雰囲気になったらどうしよう。

 

 

さて、

みなさんの、いちばん古い記憶ってなんでしょうか。

子どもの頃の思い出。なんで、覚えているのか。

 

わたしは今まで深くそのことを考えずに、何度も何度も思い出を思い出して暮らしてきました。

単純に、ショックな出来事だったから覚えているのかな、とか、ぼんやり悲しい気持ちだったから覚えているのかな、と思っていたのですが、わたしの場合は、「幼少期の自分が言いたかったこと」を保存するために覚えていたようなのです。

 

2才とか3才とか、あんまり思考がはっきりしていない頃の自分が言いたかったこと。考え事として記憶することができないので、メッセージを含められる出来事を記憶していた……ということなのかなと。

 

2回目のカウンセリング中にも、「あっ、そういうことだったのか!」と腑に落ちたことがありました。

 

まず、わたしが2才の時に父方の祖父が糖尿病で亡くなりました。

お葬式にはたくさんの大人たちがやってきて(自宅で葬儀だった)、みんな泣いていました。

かわいそうだな、と思って、チップスターのりしお味を一枚ずつ配ったのですが、誰も食べませんでした。

父方の祖父は、顔だけが見えるよう穴の開けられた箱の中に横たわり、参列者がお花で飾り付けをしてあげます。

顔のまわりがお花だらけになって、わたしは、「これはいいことだ」と思いました。

 

祖父のお葬式の後すぐに、弟が産まれます。

それから、わたしは、自分のお葬式のことをよく考えるようになります。

「死」とは、死後の国に行くことだと教えられました。

死後の国にも興味があったし、なにより、自分が死んだとき、お葬式でみんな泣くのだろうかと、期待がありました。

 

で、その思い出から3年後。

わたしは「嘘の家出」をしました。小学1年生になったばかりのときです。

まず弟に、「わたしは家出をする」と伝え、自分の靴を靴箱の奥に隠しました。靴を履いて外に行ったと思わせる工作ですね。

その後、急いで2階に上がり、両親の布団の中に隠れました。

 

掛け布団をめくればすぐに見つかるのだから、そんなに大ごとにならないだろう、と思っていたはずなのですが、予想外に大騒ぎになってしまいます。

布団の中で、耳をすませ、1階の騒ぎを聞きます。

弟が祖母に、「お姉ちゃんがいなくなった」と伝え、泣いている。

祖母がわたしを探す。祖母がクラスメイトの家に電話をかける。わたしはいつの間にか寝てしまう。

夕方になる。母親が慌てた様子で帰ってくる……。

 

そこで、わたしはノコノコと階段を降り、「寝てた〜」みたいなことを言いながら、家族の前に姿を現します。

ほんとは、「大ごとになっちゃったな……どうしよう……」と思い、なかなか登場できなかった部分が大きいのですが、怒られたくなくて、うっかり感を醸すよう努力しました。

母親は、「もう二度とこんなことはしないで。」と言って、わたしを抱き寄せてくれました。

怒られませんでした。

 

 

どうして、家出をしようと思ったのか?

考えたことがありませんでした。

カウンセリング中に突然わかったのは、これは、つまり、わたしにとって、「お葬式」だった、ということです。

 

自分がいなくなったときの、みんなの反応が知りたかった。

 

布団の中で耳をすませて、1階の様子をうかがっている間は、本当に幽霊になったような気持ちでした。

祖母は慌てていたし、弟は泣いていた。

最後に母は抱き寄せてくれた。

 

自分は、大事に思われているな……と、多少安心できたと思います。

 

いま思うと、そんなに小さい子が、自分のいなくなった世界のことを熱心に考えているなんて恐ろしいなと思うのですが、子どもって大人が思うよりずっと色んなことを感じているのでしょう。

 

わたしにとって、「死」とは、自分が大切に思われているかを確認できる憧れの状況だったのです。

興味本位の、死への憧れ。

その後、小学校中学年以降は、学校での人間関係も複雑になり、「何も感じない状態になりたい」……と、脱出方法として死を望むようになりました。

 

わたしにとって、「死」は、ずっと光だったのです。

 

「死ななかったのは何故ですか」とカウンセラーさんに聞かれました。

それは、人に迷惑をかけずに死ぬことはできないから、です。

どうやったって、誰かはわたしの死体に触ることになる。家族も、きっと悲しむ。誰にも迷惑をかけたくない。だから、死ねない。

 

「思いやりの気持ちで、踏みとどまったのですね。」と言われ、不思議な気持ちになりました。

過去の自分像が、少し、黄色、桃色がかった光に包まれるような感覚。「思いやりがあったんだね」と、肯定しても、いいのかもしれない……。

 

いつも思い出していた記憶から、過去の自分が言いたかったことが伝わってくる現象に、わたしは驚き、興奮しています。

読みにくい文章だったかもしれません。すみません……。

 

またブログを書きます。

おわり