炭酸が抜けるまでの日記

アラサーパート主婦のどうでも日記です。最終目標は安らかに暮らすことです。

カウンセリングに行ってきた!

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みなさまこんばんは。

人生の課題を解決するべく、人生初カウンセリングに行ってきました。

なんのカウンセリングかというと、いわゆる、普通の(?)、こころのカウンセリングです。

 

わたしは昔から、睡眠中にかなり具体的な夢を見ることが多く、その夢を分析できたらいいなと思ってすこ〜しだけユング心理学を勉強してみたのです。初心者向けの本を読んだだけですが……。

それで、人間には「意識」と「無意識」があり、この無意識の声を無視し続けると色々と問題が起こることが(あると)わかりました。

 

もしかしてわたしって、ものごころついた頃から、この「問題」が発生しているのでは……? と、ふと思いついたのです。

身体の内側から、どうしようもないイライラや衝動が沸いてきて、自分を殴ることで解決していた子供時代。

いつまでもやめられない皮膚むしり症。

 

特に、この「皮膚むしり症」をやめたくて、一体いつからやるようになってしまったんだろう? と思い返してみました。

保育所に向かう車の中で、父方の祖母に「やめなさい!」と注意をされたのが嬉しくて、その後もずっとむしるようになってしまったんだったような……。

いや、厳密には、注意されたのが「嬉しかったから」皮膚をむしるようになったのかは覚えていない。

ただ、注意されたことが嬉しかったことと、その後もずーっとむしるようになってしまったという事実だけはある、って感じ。

 

わたしが小学校中学年の頃に両親は離婚し、それまで育ててくれた父方の祖母とも離れ、母と弟と3人暮らしするようになった頃、母にポロリと言われたことがある。

「あんたはかわいそうだった。おばあちゃんが●●(弟)ばかり贔屓していたから。」と。

 

あんまり、あからさまに弟が贔屓されていたような記憶はない。

ただ、それも、悲しかったときの記憶をなくしてしまっているか、わざと思い出さないようにしているのかもしれない。

 

もうひとつ覚えているのは、当時住んでいた家には庭があって、弟が生まれたことを記念して植えられた木があったこと。

わたしの木は無かった。

おばあちゃんに、どうして自分の木は無いのか聞いてみたけど、「あんたは女の子だからいらない」と言われたのだった。

だけど、庭に出るたびに弟の木が立派に見えて、どうしても自分の木が欲しかった。

だから、大人たちにお願いしたのだと思う、あとから「わたし用の木」ということで、楓が植えられた。

 

わたしの方が弟より先に生まれていたのに、わたしの木の方が小さくて、細くて(そもそも弟の木とは種類が違っていた)、せっかく自分の木が植えられたのを見ても、なんだか悲しかった。あまり、そのことは考えないようにした。

 

……という思い出。

 

そのほかは、わたしは基本的に絵を描いて遊んでいることが多くて、とにかくたくさんの落書きを量産している幼少期だった。

 

わたしが覚えていることはこのくらいだけど、逆に、このくらいしか覚えていないってことは、その空白の部分に何かキモがあるのでは……。

 

……ということでやってまいりました、初カウンセリング。

 

結論からいうと、行ってよかった。

次の予約もしてしまった。

 

わたしは自分の無意識の声を聞きたかったから、催眠療法もできるカウンセラーさんにお願いしました。でも、初回なのでまずは普通にお話を聞いてもらうことに。

 

後半、カウンセラーさんから「小さかった頃の自分に質問をしてみて」と言われる場面があったのですが、少しだけ、無意識(潜在意識)の声が聞こえたような??

まず、小さかったころのわたしをイメージして呼び出すところから。

イメージの中のわたしは、かなり小さくて、3才とか4才くらい。赤いスカートを履いて、髪はふたつに結んで、地べたに座り込んでいる。

たぶん、石とか枝を使って絵を描いている。人の顔の絵を描いている。

 

その自分に、「何が欲しい?」と聞いてみる。

 

昔の自分に質問をする、っていうのが難しくて。

少し恥ずかしいし。自分に自分で語りかけるっていうのが。

 

でも、思考が回答する前に、内側から込み上げてきたのは、「一緒に遊んでほしい」という答えでした。

 

そして、驚いたことに、絵をたくさん描いていたのは、それが「ひとりでできる遊びだから」だと、「わかった」のです。

わたしはずっと、子供の頃に絵を描いていのは「絵が好きだから」だと思っていました。

周りの人にもそう思われていたと思うし、自分でもそう思っていた。今まで、まったく考えたことのない答え。

絵を描いていたのは、ひとりで遊ぶしかないから。

 

えっ?!

そうだったの?!(ギャグにあらず)

 

結構びっくりしました。

今でも、半信半疑です。ストーリーがうまく繋がるように、大人のわたしの理性が考えたことなんじゃないかと。

でも、そうやって疑われていたら、我が潜在意識さんも、なんの話もしたくなくなると思うので、いったんはそういうことにしておきます。

 

あとは、「困っていることは?」という質問には、「保育所で、男の子からスカートめくりをされるのが嫌だ。」と回答。

「ほかに欲しいものは?」と聞かれて、「もっといい紙が欲しい。画用紙とか。」と回答。チラシの裏にばっかり絵を描いていたもんね。

 

約80分のカウンセリングだったのですが、なんだかめちゃくちゃに泣いてしまいました。

涙が溢れて、自分でもなんだかわかりません。この涙も、わたしは疑ってしまうのですが、そういうところも自己肯定感的によくないんだろうな。

(自分が泣いていると、「かわいそうな存在になって許されたいと思っているんだろう」と考えてしまう)

 

わたしが、ひとり遊びに「お絵かき」を選んだのは、共働きで普段遊んでもらえない両親に、見せることができるからだともわかりました。

日中にお絵かきした作品は、紙として残り、きっと夜に両親に見てもらえているはずだから。

 

だけど、両親は忙しいなりに、できる範囲で時間を割いてくれていたはずなのに、小さい頃の自分は「一緒に遊んでほしい」と思っていたなんて驚きです。

「寂しい」と、思っていたのだろうか?

わたしには、そういう記憶がありません。

「一緒に遊んでほしい」と、願った記憶も、お願いした記憶もない。

 

でも、カウンセラーさんの、「ご両親は頑張っていたかもしれないけど、それでも足りなかったんじゃないですか?」というシンプルなお言葉に、そうか、そういう考え方をしてもいいのか……、と目から鱗と涙が落ちました。

 

「親はできる限りやってくれている」というのは、大人のわたしが頭で理解していることであって、小さい頃のわたしの希望は、まず、お絵かきをしているそばにいてほしかったし、できあがったものを褒めてほしかったのかも……。

 

 

自分ひとりで考えていたら、絶対に出てこなかった「自分の考え」が出てきて、本当にびっくりしました。

 

普段生活している中でも、「小さい頃のわたし」に話しかけてみて、と宿題をいただいたので、やってみたいと思います。

 

 

また、面白い体験をしたな〜と思ったらブログを書きますね。おわり。