みなさまこんにちは。こんばんは。
今日も今日とて、なんの進歩もせず、どちらかというと退化してしまいそうな一日を過ごしました。
新しい知識も技術も、なーんにも身に着けなかった。
ここ数日、生理のせいもあるかもしれないけど、すぐに嫌な気持ちになってしまうので困っていました。嫌な気持ちになるのは、嫌なものです。
馬鹿みたいな文章ですが、でもホントにそうなんですよ。
嫌な気持ちになるの、そして、その嫌な気持ちのままでいるの、嫌なんですよね。しんどいので。
そして、その嫌な気持ちの解消を、他人に求めたくないんです。
そもそも、その嫌な気持ちっていうのも、他人に何かを求めているから起きているわけで。
例えば、「自分だったらお礼を言うのに」という場面でお礼を言ってもらえなかったとき。
自分が何かを「してあげた」のに、無視された(と感じた)とき。
……自分で書いてて、あまりの小ささに死にたくなってしまうんですが、私はこんなことですぐにモヤモヤしてしまうんですね。
それもこれも、他人に期待をしているからなんです。
なんなら、「こうであるべき」という自分にとっての当たり前を押し付けようとしているからなんです。
自分の思った通りに他人に動いて欲しいという、支配欲によるものなんです。
自分と他人を切り離して生きていくことの、なんと難しいことか。
自分と他人は全然違う存在で、繋がっていなくて、支配なんてするべきではなくて。
そんなことわかっているのに、どうしていつまでたっても私は変われないのか……。
「在りたい自分」でいられたかどうかにだけ集中して、他人の反応など求めるべきではない。
自分から見て自分が恥ずかしいことをしていなかったかどうかだけ、気に留めて行動すればよい。
その行動の結果、他人がどうリアクションしてくるかは、もう私の関与できる領域ではない。
口では「ありがとう」とお礼を言っていたって、心の中では「迷惑だ」と思っているのかもしれないし、他人の心の中など、本当には知ることはできない。
人に親切にするのは、すべて、自分のためだ。
「親切でありたい」という願いを叶えるためだ。
だから、自分の行動の結果、「いつでも感謝されたい」と思うなんて間違っている。
……間違っている、は言いすぎかもしれないけど、でも、人生がちょっと苦しくなるとは思う。自分の喜怒哀楽を、他人に任せるのは非常にリスキーだ。
常に自分のことだけを気にできれば、すべての人に優しくできるはずなんだ。
「この人は好きじゃない」とか、「この人はヘンだ」とか、余計な感情に惑わされずに済む。私はどういう人間でいたいのか、にだけ集中できれば、淡々と親切にできる。
人によって態度を変える人間になりたくない。
淡々と、親切でありたい。
「ありがとう」と言われなくていい。私が、私から見て、恥ずかしい人間でなければいい。
そういうことを言い聞かせて、あと10年、20年と経ったら、心の底から人に優しく、地球に優しくなれるでしょうか。
感謝などされなくても、優しい人間でありたいのです。
他人のことを忘れて、しかし、想像力は持って、淡々と生きていきたい。
まだまだ道は長そうです……。
おわり