炭酸が抜けるまでの日記

アラサーパート主婦のどうでも日記です。最終目標は安らかに暮らすことです。

はてなと桜

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みなさんこんにちは。

こんばんは。はむです。

 

あのー、普段、自分のブログを確認しないのですが、昨日スマホJUGEMブログを見てみたらものっっっすごく読みにくくてですね……。

ひとつの記事を読むのに、「次へ」ボタンを何回も押さないといけないの!しかも変な場所で改ページされちゃってるし!

 

それがとてもストレスに感じたので、思い切ってはてなブログに移行しようと思います。今までありがとう、JUGEM

もし、「待ってます。炭酸が抜けるまで。」ブログ(JUGEM)を定期的に読みに来てくださっていた方がいたら、お手数ですが今後はこちらの「炭酸が抜けるまでの日記」(名前は変えるかもしれません……もうちょっとなんとかならんのか)をお気に入り登録していただくようお願いいたします。厚かましくてすみません。(気に入っているかどうかわからないのに「お気に入り登録お願いします」とか言ってすみません。言葉のアヤです。すみません、すみません)

 

さて今日は。

明日の心配をしないで、純粋に季節の移り変わりを楽しみにできた期間って、人生でほんの一瞬しかないよな~と、ふと寂しく思いました。

なんでそんなことを思ったかというと。あのね。お仕事で、ひとつ自分のミスを見つけたのに、それをほったらかして帰ってきちゃったからなんです。あら~。

明日すぐ報告できるように、必要な書類は作っておくという用意周到さを発揮しつつ、「これ以上は何も考えたくない」「ゆうてどうにかなるやつ」「死ぬわけじゃなし」と自分に言い聞かせて帰宅してしまったのです。

 

そしたらさあ。明日が憂鬱なの。当たり前だけど。

人間、悪いことはできないようになってるな~と思いました。

 

小学生のとき、明日が来ることに何の不安もなかった(時期の方が多い)。

中学生のとき、明日が来るのが死ぬほど嫌で仕方がない時期があった。

高校生のとき、明日が来ても来なくてもどうでもよかった。

大学生のとき、……どうだったかな……試験や課題の〆切が近づくとよく徹夜していたので、あんまり明日には来てほしくなかったと思う。

 

「桜が咲いている!散っている!きれいだ!」

と、手放しで喜べたのは小学生の時期だけだったように思う。

成長すると、そこに色んな意味がくっついてきちゃって、「春」だとか「別れ」だとか「出会い」だとか、よく言えば「ワクワク」、悪く言えば「不安」のような感情が桜とセットになってしまった。

私にとって、「桜」が何かの時限爆弾のような意味合いを持ってしまったのです。

見かけると、どうしても未来のことを考えてしまう。

 

あー、明日が不安だ。ミスをほったらかしてきた私が完全に悪いのですが。

 

ちょっと早く帰っちゃおうなんて思ったばかりにこの仕打ち。こんなことなら、エイヤとミスを処理してきちゃえばよかったかな~。反省反省。

と、同時に、こんな風に気にしないで、家に帰ったらスッと忘れてメリハリつけられる人に憧れたり。

 

まあ、もう起きたことは仕方がないからね。やるだけやって、お時給をいただくまでです。

 

とり急ぎの、はてなブログでした。

はー、つかれた。