とりとめもなく、思うことを書いていきます。(いつものこと)
何かを長く続けて、自信を持ちたいなあと思う。
私はそれに成功したことがあるだろうか?
自分の行動によって、自信を持てたことがあるだろうか?
いや、自信に至るまでの努力をしたことがあるだろうか?
……そのことに、自信がない。私には、「継続」の才能がない。
あ、でも、ブログは8年続けてきた!
最低月1回更新というゆるーい目標をかかげ、8割がた達成できていたと思う。
だから、駄文をさらさらと書く自信はある。
……何の役に立つやら……。
私は、今「継続して勉強する事」を頑張っている。
苦手なのだ。コツコツやるの。
試験が待ち構えていて、その2日前から全力で詰め込むのは得意。
ただし、試験が終わった後、知識が頭にほとんど残らない。勉強の意味とは。
英語を、1日最低1回勉強。内容は、「英語の本を読み進める」 or 「英語勉強アプリで2レッスン進める」という超・簡単なもの。
もうひとつは、「週に5時間以上プログラミングを勉強する」というもの。
一応、2ヵ月継続できている……。
これが私の限界だ。
「すごい人」の話を聞くと、モチベーションが上がることもあるし、だだ下がりすることもある。なぜか、悲しい気持ちになることすらある。
「すごい人の話を聞く」ことは、諸刃の剣だ。
「自分も同じ人間なのだから、きっと何かを為せるに違いない」という勇気をもらえることもあれば、「この人と同じ時間を生きているのに、自分は一体何をやっていたんだろうか」と落ち込んでしまうこともある。
それもすべて、「本当は自分にもできるはずだ」という驕りからくる感情なんだけど。自分を過大評価しているだけなんだろうとは思うけど。
思い描いていたプランを進めていたつもりなのに、ゴール地点にたどりつくずっと前の場所に長いこと留まりすぎて、そこが生活の場となってしまっている。
これは、本当に進んでいるのかなあ。考えてもしょうがないけど。
何回うまくいかなくたって、何回ダメダメな日を過ごしたって、「明日こそ」と思う権利は誰にだってある。泥棒にも。人殺しにも。
何回、自分に絶望したって、「明日こそ」と思え。
劇団四季の『アラジン』を思い出す。
主人公のアラジンは仕事がなくて、泥棒をして生活をしている。
毎日、毎日、泥棒をしている。
だけど、夜になると死んだ母親のことを思い出して、「明日こそ自分は立派な息子になってみせるよ」「いつか必ず、母さんの自慢の息子になるよ」と誓いをたてるのだ。
私は最初、この場面を観たときに「でも、明日もドロボウするよねきっと」と思った。安易に「死んだ母さん」という感動ワードを登場させてるけど、なんてうすっぺらい誓いだろうか……、と思って、アラジンの熱唱にもあまり心惹かれなかった。
でも、仕事でミスばっかりしていたころ、彼の気持ちがわかった。
今日もうまくいかなかった。
今日も、ダメ人間だった。
だけど、明日こそ。
何回ダメでもいいのだ。
何回ダメになったって、それは明日を諦める理由にはならない。
「すごい人」はいっぱいいる。
しかも、彼らの多くは「まだ若いのにすごいことをしている人」だったりする。
ただただ、すごいなあ、と思う。
地味だし革命的じゃないけど、「自分を諦めない」ことでしか、解決しないことなんだろう。
本当は、毎日キラキラと暮らしたいんだけど、なかなかそうもいかない。
部屋は散らかっているし、早くワイシャツにアイロンをかけなければ……。
3連休は、人の少なそうなところに出かけて日光でも浴びようかと思っていたのですが、なにせ「あつまれ どうぶつの森」が発売されてしまったので完全にひきこもってしまった。
画面の中の私は、家を建て、魚を釣り、虫を捕り、DIYにいそしんでいる……。
目はレレレのおじさんみたい。口は出っ歯にしました。
夫からは「法学部にいたらモテそうなルックスだ」と言われました。なるほどね。かわいすぎない女の子の方が安心して話しかけられるアレですね……。
……というわけで!
もうこんな時間(午前5:27)ですが、明日を諦めずに、自分を諦めずに、できる範囲でキラキラ生活を目指してまいりたいと思います!
がんばろう!
終わり